私が小さい頃に漫画•TV•映画で良く見た里見八犬伝...
滝沢馬琴が亡くなるまで居住した土地。
南総里見八犬伝ができるまでのエピソードが記述されています。
江戸時代後期の戯作者(げさくしゃ:今で言う小説家ですね)で、「南総里見八犬伝」の著者として有名な滝沢馬琴が天保7年(1836)から嘉永元年(1848)11月6日に死去するまで、約12年間を過ごした場所です。
今は日高屋・・・ってことか・・・ふぅっ。
説明板があり、下のように書かれてました。
この地は、「南総里見八犬伝」の著者として有名な江戸時代後期の戯作者(げさくしゃ)滝沢馬琴(1767~1848)が、天保七年(1816)から嘉永元年(1848)に亡くなるまでの約十二年間暮らした場所である。
馬琴は、江戸深川で旗本の用心の子として生まれた。
名は興邦、御家人株を買い、翌年、神田同明町(かんだどうほうちょう)の屋敷から四谷信濃町の四谷組同心屋敷へ転居した。
四谷に移転してからは、婿、妹、妻が相次いで亡くなり、自身も目を患い失明に近い状態であったが、嫁の路(みち)に口述筆記させ「南総里見八犬伝」を完成させた。
歴史の記憶を刻んだ場所。
私が小さい頃に漫画•TV•映画で良く見た里見八犬伝の作者「滝沢馬琴」終焉の碑が有りました。
名前 |
滝沢馬琴終焉の地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/collection/shinjuku-collection/shiseki/91438/ |
評価 |
3.8 |
『南総里見八犬伝』作者の滝沢馬琴公の終焉地が信濃町駅向かいにある。