村田蔵六(大村益次郎)もここで西洋の研究をしていま...
江戸時代に西洋の研究をしていたという場所の跡地。
感慨深いものがありますね。
案内板のみです。
昭和館の近くに碑が建っている。
碑には下のように書いたあった。
庵税三年(1856)に、江戸幕府は竹本図書頭拝領屋敷上地である当地に、蕃書調所を設けました。
蕃書調所は、最初「蕃書和解御用」として洋の書籍を解読して海外事情を調査するために設置されました。
その後、幕臣・諸藩の家臣らに対して西洋の文物を教育する機能も加わります。
また、画学局も置かれ、明治期に活躍した西洋画家たちも多数学んでいます。
のち神田一橋通りに移転して、洋書調所、さらに開成所と改称しています。
明治二年(1869)に、大学南校となり、開成学校と改称しました。
現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身です。
村田蔵六(大村益次郎)もここで西洋の研究をしています。
外国の文書である蕃書に「蛮(変な虫)」ではなく「蕃(草木が生い茂る)」という文字を使っているところに、西洋に対する(若干の?)敬意を感じます。
案内板があるのみ。
名前 |
蕃書調所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
江戸幕府の要請で西洋書の解説と海外の情勢調査の為に設立された施設として、勝海舟の写真と共に紹介してある案内板がございます。
今はその面影はなく、交番と昭和館が両隣に建ってます。