幕府滅亡後静岡に謹慎していた徳川慶喜は明治半ばにな...
金富小学校のすぐ近くです。
徳川慶喜の終焉の地でもあります。
大学の北東の入り口には「徳川慶喜終焉の地」の案内板があります。
もう少し説明が欲しい。
個人的には興味がありません。
いつもきれいにされています。
みなさん優しい人ばかり。
中に入れると良いよね❗
現在は銀杏の木だけが残っていて以前は相模国荻野山中藩主大久保 長門守教義という大名のお屋敷だったようです。
国際仏教学大学院大学の正門にあります。
徳川慶喜さまの御屋敷跡とありますが石塔があるのみで屋敷はなくイメージしたくてもヒントとなるものがないのでモヤモヤのまま通り過ぎる感じ。
坂が急。
「ここにお屋敷が建っていたの?家の中に急勾配がある感じだったの?」という感じ。
説明文は板碑の裏側に白文字で記載されている。
名前 |
徳川慶喜公屋敷跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
幕府滅亡後静岡に謹慎していた徳川慶喜は明治半ばになって第六天町と言われたここに移った。
敷地1万㎡もあり今の仏教学大学のキャンパスと東京メトロの車庫に及ぶ広さに何十人もの家来と共に暮らし明治天皇より長生きした。