江戸の昔、伝馬町に牢屋敷がありました。
先ずは、日本橋室町に有った石町時の鐘 鐘撞堂跡から時の鐘通りを進み、十思公園内銅鐘石町時の鐘を訪問~(^^)。
時計が普及するまで、江戸の時を知らせていた鐘で、小伝馬町の牢獄で死刑執行時に鐘を鳴らしていたとのことでびっくり~😲。
そして、十思公園内銅鐘石町時の鐘の横にある、伝馬町牢屋敷跡の石垣も見学~(^^)。
この周辺には明治まで約270年間牢屋があり、あの吉田松陰もここで処刑され終焉の地の石碑があることにびっくり~😲。
まさかこんなところで、吉田松陰先生の名前をみるとは思っていませんでした(^^)。
.さらに、十思の意味を読み感心~(^^)。
江戸時代には伝馬町牢屋敷だった場所が公園になっています。
銅鐘石町時の鐘という名の鐘楼堂があり、夜間はライトアップされてその威容をさらしています。
当時の江戸には日本橋石町、浅草、本所、上野、市谷他九ヶ所に時鐘があったそうですが、この鐘が時鐘としては最古のものだそうです。
伝馬町獄での処刑もこの鐘の音を合図に執行されていましたが、処刑者の延命を祈るかのように遅れたこともあって、一名情けの鐘ともいい伝えられているとの事です。
都心の公園ではあるものの、ところどころに史跡があり普通の公園とは少し違います。
史跡巡りのルートとしてみておくと良さそう。
もと伝馬町牢屋敷だった公園。
小伝馬町駅を出てすぐ。
刑を告げる鐘、石碑等有り。
吉田松陰終焉の地。
小伝馬といい小塚原といい数多くの刑死者がいる中で吉田松陰を特に強調するのは先生の御人徳故か。
ここはかつての伝馬町の処刑場跡で、吉田松陰もここで斬首されました。
歴史に残る地ですが、解説が読みづらいのでなんとか修正いただきたいです。
たまに公衆🚾を利用していた公園にこんな史跡があったとは‥!松陰先生終焉の地で感慨にふける。
小さい公園ですが、遊具も、広場も確保されていて小さい子なら満足できます。
ストライダーの練習等に適していますね。
私は会津の血筋です。
何か拍子抜けしました。
吉田松陰の碑。
大きな桜の木が何本かあり、今、満開です。
みんなが立ち止まり、桜の写真を撮っています。
公園が広く、高い建物は少し離れ、青空が広がって、とても気持ちが良いです🌸
⛲吉田松陰様縁の地&時の鐘⛲日本橋の一角にある公園であるが、素通りするには惜しい、一見の価値ありの公園である。
吉田松陰先生と言えば、幕末の歴史に名を刻んだ方。
その松下村塾からは多くの幕末志士が育った。
彼自身も相当な活動家であり、捉えられてこの伝馬町牢屋敷で処刑されたのである。
また、時の鐘。
江戸市中に10カ所程度設置され、時を告げていた鐘の一つが現存する。
安政の大獄の処刑地という事で吉田松陰最期の地という事になる。
が、私にとっては数十年前に勤めた会社での罰走の地であり連帯責任なので散々走らされた悪夢の思い出のみ(実業団のスポーツ選手でもなんでもない)当時を思い出しレビューを見たらこんなとこじゃないぞ❗というぐらい変わってた。
そもそも罰走でしか来ないから歴史的な観点で何も見ていないのでコロナ終息時の東京再訪候補筆頭。
地下鉄駅に行けるエレベーターがあって便利です。
トイレもキレイでした。
トイレが綺麗で気持ちよく使えた。
遊具も子供を遊ばせるに良いものだ。
と思えた。
隣りには浴場施設があった。
吉田松陰終焉之地、伝馬町牢屋敷跡で、銅鐘石町時の鐘や吉田松陰先生の石碑が有ります。
この辺りの公園のなかではちょっと日当たりが悪い気がします。
ホームレスの方も見かけます。
近くに勤める人たちが昼休みを過ごすのに良い場所です。
ただし、冬は建物の陰でほとんど日が当らないので、結構寒い。
毎年、鐘つきに行ってきます。
お蕎麦も食べられるので、是非お出でください。
江戸の昔、伝馬町に牢屋敷がありました。
その跡地にある公園です。
隣接する施設(十思スクエア)では伝馬町牢屋敷の模型が展示しています。
お昼時には公園でお弁当を食べる人達で混み合います。
小伝馬町のすぐ上にある公園ですお葬式などに使えるコミュニティルームや 銭湯もあります。
伝馬町牢屋敷の跡。
慶長年間(1596-1614)から明治8年(1875)までの270年間、江戸幕府最大の牢屋であり死刑執行場であった。
安政の大獄で捉えられた吉田松陰など勤皇志士の多くもここで処刑された。
公園内にある「時の鐘」は、この鐘を合図に処刑が執行されたが、最後の温情か、実際の時刻よりやや遅れて鐘が鳴らされたという。
この公園は、江戸時代には、伝馬町牢屋屋敷跡です。
未決囚の収容で、町奉行の白洲で、判決を受け死刑の判決を受けた人は大森にて磔、又は小塚原にて斬首された。
江戸時代にて収容された人数は、数十万人と言われています。
幕末の安政の大獄には、吉田松蔭や多くの志士が収容され獄死された。
東側には、吉田松蔭の石碑があり、「身はたとひ武蔵の野辺に枯ぬとも留置まし大和魂」と彫られています。
吉田松蔭は、世田谷区に吉田松蔭を祀った神社があります。
明治8年には、市ヶ谷刑務所に移されこの牢屋敷は、廃止されています。
明治の初期に小伝馬町牢屋敷の住所が第一大区第一中学区第十四小区に属したことから、中国の宋の時代の歴史書「資治通鑑しじつがん」の中にある「十思之疏じっしのそ」の十思じっしの音が十四に通じるところから「十思じっし小学校」と名づけられた。
十思之疏じっしのそとは歴史書「資治通鑑しじつがん」の中で唐の名臣魏徴が、大宗皇帝にさし上げた十ケ条の天子のわきまえなければならぬ戒めです。
十思学校の東隣にある公園も小学校の名をとって「十思公園」と名付けられました。
『十思之疏』古来中国の為政者のための訓戒。
・見可欲則思知足(たるを知る)・将興繕則思知止(とどまるを知る) ・処高危則思謙降(へりくだるを知る) ・臨満盈則思挹損(おごらない)・遇逸楽則思撙節(質素堅実を知る) ・在宴安則思後患(先を読む) ・防壅敝則思延納(他言を聞く)・疾讒邪則思正己(身を正す)・行爵賞則思因喜而僣(度をわきまえる)・施刑罰則思因怒而濫(やりすぎない)魏徴 ぎちょう580年〜643年唐の政治家。
鉅鹿郡曲城県、現在の河北省邢台市巨鹿県、晋州市、邯鄲市館陶県の人。
若いころから高祖、太宗の2代に仕えて、諫議大夫・左光禄大夫、秘書監、侍中を歴任して、鄭国公に封じられ、太宗に直諫(じかに諫言)することで有名であり、そのやりとりは『貞観政要』に多く載せられている。
「人生意気に感ず」の句で有名な「述懐」という詩を詠んだ。
小伝馬町界隈のオアシス……というほどでもないが、いろいろな碑などが建てられていて、興味のある人は訪れてみては。
要するにこの公園と隣の十思スクエアが、かつての伝馬町牢屋敷跡なのであるが、説明の看板の写真を添えたので、詳しくはその文言をお読み下さい。
お昼休みの時間は会社員たちで結構混み合っています。
敷地内には移設保存されている時の鐘や、吉田松陰の辞世が刻まれた石碑などがあります。
遊具もいくつかあり、ベンチも複数、トイレも備え付けられており、近所の幼稚園の子たちが遊びに来ていることもあります。
また中央区のコミュニテイサイクルのサイクルポートもあります。
こちらで処刑され→南千住回向院で埋葬され→松陰神社に会葬された吉田松陰は死んでからもこれだけの歴史が残っています。
江戸時代には処刑場があった場所😢なのでそれに関する石碑や遺構などが残っていて歴史的価値ある(^_^)また時の鐘もあってその昔の賑わいも感じられて良かった😆
名前 |
十思公園 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3543-0211 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.chuo.lg.jp/sisetugaido/koento/kouen_hiroba_ichiran.html |
評価 |
3.8 |
小伝馬町駅のエレベーターと隣接しています。
また公園内に鐘や歴史の遺構があったりと普通の公園とは違うところがあります。
また遊具も揃っており、就学前の子供が遊ぶ時は最適な公園です。