所用で訪れた際に約束の時間まで時間を潰し街を散策し...
出世稲荷神社・岩代稲荷神社 / / / .
御由緒によると、歌舞伎の初代市川団十郎が当社に日参し、その後、出世の神社としたことで有名となった神社です。
元々は、「庄司甚右衛」の仮屋敷に勧請された稲荷神社です。
「庄司甚右衛」と云えば、吉原遊郭の創設者と云われ、吉原では親爺、その代々の子孫が惣名主となっています。
最初の元吉原は、人形町に造られており、「庄司甚右衛」の屋敷があったという御由緒書きの話も納得です。
「庄司甚右衛」と云えば、御由緒書きにある通り、小田原北条家の浪人、風魔小太郎配下では?と云われる人物です。
そんな人物の屋敷にあった神社らしく、一見では分からない、隠し部屋のような場所にあります。
幟も社号標もありますが「本当にここに?」という感じになります。
所用で訪れた際に約束の時間まで時間を潰し街を散策していたら路地裏に稲荷神社ののぼりを発見。
不自然な場所だったので近づいてみるとビルの1階から奥のほうに稲荷神社がありました。
普段見落としてしまいそうな場所にひっそりと佇むおいなりさん。
不思議な出会いに感謝です。
なんとマンションの駐輪場の奥にひっそりとある神社。
洗濯機など生活感漂う空間に鎮座しています。
秘境感があって楽しいですね。
出世稲荷神社の創建は、江戸時代に元吉原遊郭の総名主であった庄司甚右衛門という人や、他数名の仮屋敷内に勧請したのが創祀と伝えられています。
江戸時代に初代市川団十郎がこちらに日参し出世して以来、芸能関係者の信仰も厚く、多くの関係者が出世を遂げているといいます。
マンションの入り口を抜けると神社が!!入るのに少し勇気が・・・
アパートに埋もれてしまっています。
何やらお宝じみたご利益がありそうで、有難い感じもします。
えーっと、雰囲気が好きです。
びっくりするようなところにありました。
マンションの一角に取り込まれた感じになっておりますがこれも何かのご縁と思い誠心誠意お参りさせていただきました!ありがとうございます😊
知らずに行くと …ん?という場所にあります。
(もちろん ご存知の方ばかりかと思いますが私は知らずに行ったので😅)アパートの共有通路を抜けると 右手側に御本尊があります。
その左手は 向かいの道路に面した有料駐車場。
神様、ちょっと窮屈かもしれませんが、ここに来る皆さんの願いを叶えるべく頑張ってくれているんだなぁと、応援したくなりました。
自分の中では、え、こんなところに?と場所でびっくりする神社No.1、古びた前世紀のマンションの奥、何だか階段の下のような場所にいささか窮屈に鎮座なされている。
参道は自転車置場、手前にいつから放置されているのかわからない壊れた乾燥機、そんな環境だけど、ほかの方が書かれているように極めて由緒正しいお稲荷さんなのだ。
これだから下町のミニ神社巡りは面白い。
本当にビルの隙間に鎮座してます幟はすぐに見つかりましたが、神社自体が見当たりません途方に暮れてキョロキョロしてたら、駐輪スペースの奥に紅い幟が見えました明らかに私有地の雰囲気に躊躇しましたが、せっかくここまで来たので意を決して侵入させて貰いましたお陰さまで無事に参拝できました佇まい的には「出世?」と思わなくもありませんが、未だに維持されているのでご利益は期待できるでしょう。
マンションの奥にひっそりとたたずむ社殿ですが、独立した敷地なので、マンションの自転車置き場は袋地通行権が成り立つ参道で、堂々とお参りできます(マンションが後にできたと、地元の方のお話)。
一見すると、ここ?これ?と思うが、いまでも地域の方々がを篤く守り続け、400年からの歴史をもつ神社。
ご利益がないわけがない。
マンションの奥にひっそりと佇む、あまりにも小さすぎる神社です。
地元の人でも知らない人が多い謎の神社。
「こんなところ通っていいのか?」と考えてしまう所(自転車置き場?)を通ってやっとこさ辿りつきます。
創建は元和三年(1617)。
後に吉原(現在の人形町の一部)の名主となる庄司甚右衛門が伏見稲荷を勧請したのが始まりだそうで、明暦の大火・安政大地震・明治六年の大火・関東大震災・太平洋戦争と数々の災害にも御本尊だけは罹災せず、くぐり抜けてきたというタフな稲荷。
歌舞伎役者の初代市川團十郎が参拝して出世したことから出世稲荷と呼ばれるようになったそうです。
日本橋にある出世稲荷の神社。
ここは住宅の中にあるため探すのが大変。
駐輪場を通って鳥居を潜れば、突き当り右に本殿があります。
ここでは賽銭をコイン穴に入れてお参りします。
なのでコインを持参してください。
また、本殿の横にもすごく小さな像が置いていますので気付かないこともあるとは思いますが、一緒にお参りするとよいかと思います。
云われは不明ですが、その像は参拝者を見る方向で設置されているので、境内にあるものなど意味があるので蔑ろにしてはいけません。
多分七福神の何かだとは思うのですが・・・。
ここの神社は毎日お参りして出世したという逸話があるため、毎日とはいかずとも思い出したら参拝する方が良いでしょう。
出世や成果が出たら必ず結果報告の参拝は忘れずにした方が良いです。
日本橋で働くなら知ってて損はないです。
出世稲荷神社。
マンション下にあり、一瞬入ってよいのかためらう、このロケーションに驚きます。
昭和56年5月吉日(1981)出世稲荷世話人一同により掲示された”出世稲荷の由来”によると「江戸時代初代市川団十郎が日参し名をあげた由尚当地より出世致した商店、芸能関係各個人等数多く出て祈ります。
」とありました。
これは「応長見聞集寛永図経、先祖の言い伝えとの事」と記述もありました。
1617年創建。
元は屋敷神であったという。
初代市川団十郎が参拝し名を上げたことから出世稲荷神社と称された。
幾多の震災や火災そして太平洋戦争等から本尊は災禍されずに残ったが、関東大震災にて社殿焼失、その後椙森神社の拝殿を取り壊した材木を使い再建されたという。
当神社の面白い所は神社らしからぬ場所に祀られている所である。
マンション下の狭い駐輪場の通路奥に社殿があります。
中央区には場所を有効的に使った神社が多いですが(雑居ビル屋上に本社等)、ここまで「神社」らしさが無いのは無いと思います。
逆にここまでして残された地域住民の方々の信仰心が垣間見れます(マンション建設反対運動もあった事でしょう)。
珍スポット好きの方は御参拝をしてみてはどうでしょうか?御朱印無。
江戸時代北条家浪人庄司甚右衛門他数名の仮屋敷内にあり、京都伏見稲荷より守護神として祭ったとあります。
そこに、初代市川團十郎が日参し名をあげた、商店、芸能関係各個人等数多く出た、と説明文にあります。
ただ世話人一同が出世稲荷を代々守護して居られるようですが、この説明文は、誤字脱字があるので、読み砕いてください。
ご丁寧に、蛍光灯も付いています。
マンションの 1階の自転車置場を抜けた先に見えるので、迷わす進めば良いのですが、その前に道路の入口には、親切に幟(のぼり)が立てられています。
岩代稲荷に関しての情報は、ありません。
1617年創建。
元は屋敷神であったという。
初代市川団十郎が参拝し名を上げたことから出世稲荷神社と称された。
幾多の震災や火災そして太平洋戦争等から本尊は災禍されずに残ったが、関東大震災にて社殿焼失、その後椙森神社の拝殿を取り壊した材木を使い再建されたという。
当神社の面白い所は神社らしからぬ場所に祀られている所である。
マンション下の狭い駐輪場の通路奥に社殿があります。
中央区には場所を有効的に使った神社が多いですが(雑居ビル屋上に本社等)、ここまで「神社」らしさが無いのは無いと思います。
逆にここまでして残された地域住民の方々の信仰心が垣間見れます(マンション建設反対運動もあった事でしょう)。
珍スポット好きの方は御参拝をしてみてはどうでしょうか?御朱印無。
まず入口?山道を探すのに凄く迷いました。
まさかマンションの駐輪所を通ってその先に鎮座されているとは...かなり歴史のある神社で江戸の大火、関東大震災、東京大空襲を経て形は変われども今なお残る神社なのにこんな場所なんて...どう考えてもマンションが後から建設されたのだからもう少し神社に譲歩出来なかったのですかね?
マンションの自転車やらが停めてあるただの通路の奥。
こんなんでご利益あるの?って感じ。
当然のことながら、宮司さん、いません。
確かに都会とはいえ、もっと良い所があっても良さそうですね。
こちらの出世稲荷様は1617年から江戸の大火1657年安政の大地震1854年明治の大火1873年関東大震災1923年太平洋戦争を生き抜かれたありがたーい出世稲荷様です。
場所は残念だけど、素晴らしい!!!
出世稲荷大明神と岩代稲荷神社、二つの額が掲げられている。
入口が解りずらいので注意。
神社の北側から、ビルの細い路地を通って入る。
「こま吉」という店の脇に旗が立っているのでそれを目印にしてもよい。
名前 |
出世稲荷神社・岩代稲荷神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
皆さん書かれている通り、マンションの駐車場の奥の小さな神社。
私の後にもお詣りされてる方があり、愛されているようです。
ただ私は少し迷ってしまったので、出世はできないかもしれません。