それを見ているだけでも楽しい。
松平定信公の墓前にお参りと霊巌寺を訪れた。
山門を撮ろうとすると、左右に寺院があり、出世不動尊とあるのでお参りした。
小さな境内ながら管理が行き届いたお寺でした。
人通りの多い道に近いところにあるが、いつも静かで落ち着く。
広くはありません。
ベンチが2つあり、暖かい季節にはまったりできます。
長専院 出世不動尊〒135-0022 東京都江東区三好1丁目6-6訪問日は2024年2月10日、午後のことでした。
きらびやかな出世不動尊は目立ちますが、案内板を読んで、長専院の本尊、江東区指定有形文化財指定の阿弥陀如来立像もぜひ拝観したいと興味がわいてきました。
●江東区指定有形文化財(彫刻)木造阿弥陀如来立像 一躯(いっく)三好一-六-三 長専院平成二一年三月二七日指定長専院(ちょうせんいん)の本尊。
像高は七五・六cm三尺阿弥陀と称される来迎形式(らいごうけいしき)の阿弥陀如来立像です。
右手は肘(ひじ)を曲げて掌(てのひら)を前に向けて立て、左手は掌を前に向けて下ろし、両手とも親指と人差し指を捻じ、右足をわずかに前に踏み出して立っています。
この像の造像技法は、二材以上を規則的に接合して造る「寄木造(よせきづく)り」、もしくは「割矧造(わりはぎづく)り」です。
眼は水晶をはめ込んだ「玉眼(ぎょくがん)」とし、表面の仕上げは、肉身部は金の粉末をニカワに溶かして塗る「金泥(きんでい)」、着衣には漆の上に金箔を貼る「漆箔(しっぱく)」が施されています。
全体にバランスがよくとれた優作です。
形姿と造像技法から、鎌倉時代後期(一三世紀後半)の作例と考えられます。
保存状態がよく、造立当初の姿をよく残していることは貴重です。
平成二二年一〇月江東区教育委員会。
清澄白河駅A3出口を出てすぐ南の深川資料館通りに入って、深川江戸資料館の手前の細い筋を右に入った所に出世不動尊が✨資料館通りは何度も通っているのに今まで全然気がついていませんでした。
清澄白河ブラブラの際に立ち寄ってみるのも良いですね。
出世不動という文字に惹かれました。
街ちブラしている時に見つけました🎵江東区三好にあります。
深川江戸資料館の近く。
御朱印もいただけました🎵
長専院というより出世不動尊としてお寺をされてました。
御朱印も丁寧に対応していただきました。
謹んでお悔やみを申し上げるとともに、先代のご生前のお姿を偲び、ご冥福を心からお祈り致します。
ご住職の声が素晴らしい。
聞いていて癒される素敵なボイスです。
小さな神社の割には、とてもきれいでよかったです。
清澄白河の裏通りを歩いていると、『出世不動尊』と書かれた石門とちょうちんが眼に入り、気持ちに張りが出て素通りできず立ち寄った。
傘寿を過ぎて出世もないが、やはり人間、幾つになっても進化したいもので、そんな気持ちでお参りした。
出世不動尊…この名の由来は、江戸時代この界隈は湿地帯だったために、霊願寺の建設に難儀していたところ、向かい側に不動堂を造りお参りすると、工事が順調に進んだことから『出世不動尊』と呼ばれ崇められたという。
今ではこの界隈には、寺院が軒を連ねるように建ち並び、清澄庭園があったり、潤いある街となったのもこのお不動さまのお陰かもしれない。
朱塗りの本堂が蒼い空にひときわ映え、庭は美しく掃き清められて、清々しい気持ちになった小春日和のひと時でした。
迫力のある堂宇に、造形的に非常におもしろいレリーフが各所に配され、それを見ているだけでも楽しい。
しかし、なにゆえ「出世不動尊」なのか?江東区観光協会のウェブサイトを読んでも、説明がヘタで(すいません)話にならぬ。
そこで「猫の足あと」という寺社案内のサイトが、文献を示しておられるので、それを引用させていただく(ぜひ検索してください)。
次の通り。
開基は榊原忠次(寛文五年没1665)、開祖は命誉圓壽で、霊巌島に創立され、万治元年(1658)に霊巌寺とともに移転してきたという。
榊原忠次は德川四天王の一人榊原康政孫で、慶長一〇年(1605)に遠州横須賀で生まれ、秀忠の偏諱を与えられる。
母は家康の異母弟松平康元の娘である。
忠次の孫、榊原政倫(天和三年没1683)の墓が長専院にある。
榊原家の墓は霊巌寺にあり、長専院が管理している。
魚問屋の統領であった和田家の墓もある(「深川区史」)。
昭和三年(1928)に不動寺を合併する。
不動寺は出世不動尊で有名であった。
不動像は近江三井寺の始祖智証大師護持の像で、大師が唐に行くときに守護した霊験あらたかな像であった。
のちにこの像は期妙法師が護持していた。
霊巌上人が京都知恩院に滞在していたとき、明王が法師に霊巌上人が今年関東に大寺を建立する、霊巌上人に「我を誘い行くべし」と三夜続けて告げ、法師は上人にこれを告げ、明王を渡し、上人は出世不動明王と名付け、関東にたずさえ、この明王の御加護によるものか大寺造営を速やかに成就した。
霊巌島に住む奈良屋某の先祖が深く帰依し、堂宇建立の大施主となる。
不動堂も幾度か災害に遭うが奈良屋某が施主となり、四方の信者の助けにより再建した。
大震災もこの明王の加護で難を避けられ、昭和七年に本堂を復興し、不動講も再建できたという(「開運出世不動明王略縁起」)。
(江東区の民俗深川編より)
開基は榊原忠次、開祖は命誉圓壽で、霊巌島に創立され万治元年(1658)に霊巌寺とともに移転してきたと伝わります。
有り難く、”出世不動尊”の御朱印を頂きました。
〔長専院 不動寺/Cyousenin Fudoji Temple〕江戸時代、近江に祀られていた お不動様が、「手助けしたいので 江戸に連れていけ」と、お坊さんにお願いしました。
折しも、明暦の大火の後の、江戸の区画整理が進む中、霊巌寺は新川から深川へ移転を命じられて、寺院建築の真っ最中でした。
当時の深川は、まだ湿地が多く、寺院建築にも難儀していました。
不動堂をつくり、お祀りすると、工事が順調に進んだということです。
このことで、出世不動 と名付けられたようです。
〔アクセス〕東京メトロ・都営大江戸線 清住白河駅 徒歩3分。
清澄白河駅より徒歩4分。
「出世不動尊」と刻まれた石の鳥居が目をひきます。
浄土宗の寺院。
阿弥陀如来、不動明王を祀っている。
どんな困難も乗り越え人間的にも社会的にも職場でも出世(成長)できるようお願いしてきました。
お留守のためご朱印はいただけませんでした。
清澄白河駅近くを散歩してたら、子どもたちの声がするのでそちらの方に向かったら、お寺の付属っぽい幼稚園が。
その幼稚園のお向かいに朱いお堂のあるこれまた印象的な不動尊がありました。
出世不動尊!御利益ありそうなので素通りできませんでした。
こじんまりとした作りですが、朱色の建物が鮮やかですごい目立ちます。
徳川四天王の一人榊原忠次が開基。
「深川の出世不動」として広く信仰を集め親しまれているそうです。
出世をしたい方は是非、ご参拝を。
出世不動尊という名前に惹かれ思わずお参りしてました。
もっと早く知っていればな…。
平成29年2月11日土曜日に訪問。
出世不動尊とは?もっと早く35年前に来てればねぇ!いや、たとえ35年前にきても今と同じでしょう。
なんてここの神様に失礼です。
出世を願う方々は是非行ってみてください!きっと出世しますよ。
ご朱印いただきました。
八重桜美しい。
名前 |
長専院 出世不動尊 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3641-5848 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
区役所出張所に用があって行った帰り、せっかくだからと立ち寄りました。
実は少し前に新しい仕事を考えて動いていたところだったのですが、願掛けではなく、この地にご縁賜われたことに感謝とご挨拶、宣言をして帰宅。
そのおかげなのか、翌日嬉しい連絡が入り、しかも提示されてた額より多い金額で契約を結ぶことができました。
更に…息子も希望通りの企業に内定をいただきました!これもきっとご利益なのかなと。
また改めて報告とお礼参りに行こうと思います。