天文七年(一五三八)七月この地に開創した寺院です。
原木山 妙行寺(日蓮宗系単立寺院) / / / .
毎年、ここの桜🌸を楽しみに待ってます🐻いつも、綺麗に咲いてます🐻
2022年11月参拝。
日蓮宗。
庫裏で寺族の方より御首題を直書きで頂きました。
とても綺麗なお寺です。
桜🌸の名所です。
ほぼ毎日、11時から、誰でも無料でご祈祷を受けられます‼️所要時間は、40分程度です。
大きなお寺。
藤棚がきれいです。
枝垂れ桜が見事。
垂れ桜🌸が満開と聞いて、昼休みに参拝🙇荒行堂の垂れ桜🌸満開🌸🌸🌸
枝垂れ桜の美しいお寺門やお寺の彫刻なども素晴らしく、心静かに過ごすには素晴らしい場所です駅から5-7分くらいです。
静かな時間が流れてる公園。
菩提寺なので言いたくないですか何かにつけて金をせびってきます。
地域のお寺。
以外に歴史は古いです。
近所の人が集まる場所。
垂れ桜が有名な墓場は、夏休みのラジオ体操の会場になったりしています。
落ち着いた静かなお寺さんです。
実家のお墓があるので 時々 お参りさせて頂いております。
いつも お墓をお守り頂きありがとうございます。
かなり由緒のある御寺のようでした、日蓮宗の御寺で、とても広い敷地があり山門には、竜🐲がほってあり本堂のほかに戦没者慰霊塔、三重の塔、祖師堂等いろいろありました、一番驚いたのは、御寺の供養のお布施が檀家さんでもこんなに高いと、なくなったあとでも家族はつくずく大変だとおもいました。
「ばらきさん みょうぎょうじ」と読みます。
このあたりでは一番多い(と思う)、日蓮宗の寺院です。
山門から見ただけではわかりにくいですが、仏殿の脇にある渡り廊下の下をくぐると、墓地が広がっています。
墓地内には枝垂れ桜があり、墓参りのついでに眺めていく人を多く見かけます。
また山門から入って右の方に、トイレがあります。
山門の脇から車で入ることはできますが、駐車可能なスペースはそれほどありません。
前の通りも狭いので、可能であれば公共交通機関を利用した方が良いかと思います。
最寄り駅は原木中山駅です。
徒歩10分くらい。
春、ここの桜は一見の価値有り。
大きな一本桜をゆっくり見れる素晴らしい環境。
これは心が和む、時間を掛けて春を全身で感じられる良いお寺です(^^)
初めて行きました。
寺の中が良く手入れされていて、桜も綺麗です。
真間川という川沿い、かつての行徳街道沿いにある日蓮宗のお寺。
全く無名の寺ながらも、地元では枝垂れ桜の名所として有名なんです。
その枝垂れ桜がこれ。
伸び伸びとした枝っぷり、勢いがあっていいものです。
枝垂れ感がわかりやすい枝。
花のボリューム感があって、下に潜り込むと春の香りに包まれるんです。
周囲には、のんびり花を眺める人と…墓石。
そう、お墓の中にあるので、酒を飲んで眺めるのは不謹慎な空気感。
これもまた、この枝垂れ桜のいいところでしょう。
このお寺のもう一つの見どころは山門の彫刻。
明治に入っての作のようですけど、小さな寺にこんな立派な山門があるなんて、かなりの意外感がありますね。
江戸開幕より前からあった歴史の古いお寺で、しだれ桜が有名。
日本の仏教寺院。
ホッとする場所。
3月後半に枝垂れ桜を見に行きました。
とてもキレイで良かったです。
おすすめです。
東西線 原木中山駅より徒歩10分程度です。
しだれ桜が素晴らしい!
名前 |
原木山 妙行寺(日蓮宗系単立寺院) |
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ジャンル |
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電話番号 |
047-327-1461 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
原木山妙行寺は、円増院日進上人が日蓮宗布教のため、天文七年(一五三八)七月この地に開創した寺院です。
当時、原木村は戸数四十余戸という小村だったので、日進上人はたちまち村民すべてを信徒にし、さらに周辺諸村に教化を広め、妙行寺の基礎を確立していきました。
本寺の宝物の一つに、日法上人作『日蓮大菩薩板御影』があります。
これは宝暦十二年(一七六二) 十二月、中山法華経寺の頭塔安世院が火災のとき、原木村の平田武右衛門によって火中から取り出され、妙行寺に奉納されたものと伝えています。
以来だれ言うとなく『火中出現防火日蓮大師の像」として知られるようになりました。
寛政三年(一七九一)八月、江戸の深川から行徳、船橋にかけて襲来した大津波は、特に原木村に大きな被害をもたらしました。
妙行寺の堂字は流失し、二十五世日光上人は津波のため溺死する有様でした。
村民の被害について伊能忠敬の測量日記には『此村先年津波にて、家流崩数合当数五十八軒、溺死村方百十三人、外より入込人四十人』とあり被害の大きさを物語っています。
日光上人のあとを嗣いだ日運上人は、直ちに諸堂の再建に着手し、寛政七年(一七九五)十月には、柴又の経栄山題経寺(柴又の帝釈さまで有名)住職日敬上人の発願で、溺死した村民のため供養塔が建てら れました。
明治維新の排仏毀釈では寺運は全く衰退し、見る影もなくなりましたが、原木村出身の日淳上人が三十六世を嗣ぐと、 その教化に浴するものが数多く、これら信徒の寄進による浄財をもって三十七世日晃上人は堂塔の改築に力を尽し、今日のような寺勢を見るに至ったのです。
【現地案内板より抜粋】枝垂れ桜見物に訪れましたが、一足遅くやや散り気味の状態でした。
枝垂れ桜以外でも、季節の花々や池のある庭園、本堂の彫刻も見事なものでした。