約七十万石を与えて駿河静岡立藩を許可した事で落着し...
由緒あるお寺さん。
慶応四年、明治新政府による徳川家の処遇は、田安亀之助(徳川家達)を徳川宗家相続者として、約七十万石を与えて駿河静岡立藩を許可した事で落着した。
その為新政府より国替えを命じられた沼津水野家は、慶応四年(1868年)五月、上総菊間(当地)に移封された。
その際、新たに藩庁を定める為の普請工事の期間中、八幡村の旅籠藤田屋を仮陣屋とし、其の後当寺千光院に居所を移した。
しかし、新藩庁完成を見る事無く廃藩置県を迎え、明治4年(1871年)7月に廃藩、間もなく木更津県に統合され、菊間藩は僅か3年の治政をもって終焉を迎えた。
千葉県には、同様の経過を辿る大名家の転封がいくつか有るが、浜松→鶴舞の井上家・掛川→松尾の太田家等は、やはり同様に、移封初期段階に、寺院や個人宅を仮陣屋としている点が共通している。
この事は、明治新政府が旧幕府大名家の処遇を巡り、かなり混乱している様子が窺えるような気もするが、果たしてどうなのだろうか。
十分な下準備もアフターケアも無く、いきなり素適でもない土地に、一族郎党大人数を従えて移住する当時の藩主の苦労も、労いたく思う所である。
ポケジムあり!
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真言宗のお寺。
真言宗のお寺。
名前 |
真言宗 千光院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0436-41-3751 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
山号を印内山と号し、大日如来を御本尊とする新義真言宗の寺院で、犬成(市原市)地区に創建したのが起源とされますが年代等不詳です。
その後、犬成地区領主・酒井定隆(上総国土気城主祖)が顕本法華宗・如意山本行寺(中央区浜野町)を創建した日泰上人に帰依したことで、長享2(1488)年に宗教政策『上総七里法華』を行い、当時の千光院住職・広済僧都が宗教政策『上総七里法華』を回避するために酒井定隆の領地外であるここ菊間地区へ千光院を移したとされます。
江戸時代中期の天明2(1782)年から天明8(1788)年にかけて発生した『天明の大飢饉』の救済と弘法大師空海の950年遠忌を記念する目的で開かれた霊場『上総国市原郡八十八ヶ所霊場』の88番札所に指定されます。
東側路肩に駐車場あります。