出きれば木ではない標柱が欲しい読めなくなってる。
草木の生い茂った中に駐車します。
かつてこの地に陣屋が存在したらしいけど…今は何も無いです。跡地として草っ原のまま、つわもの共が夢の跡〜となってる感じですね。
出きれば木ではない標柱が欲しい読めなくなってる。
菊間藩陣屋跡 戊辰戦争期、京都で大敗した旧幕府軍が江戸へ帰還する中、徳川慶喜は新政府への恭順の姿勢を示す為謹慎生活に入った。
新政府の徳川家に対する処分が話し合われる中、田安亀之助(徳川家達)による徳川宗家後継が決定し、駿河遠江に駿府藩(静岡藩)70万石を立藩した為、この二国内に既に存在していた藩が各地に移封された。
菊間藩は、その移封によって水野家の駿河沼津藩が、明治元年(1868年)五月にこの地に立藩したものである。
当時の藩主は、水野忠敬公(写真)である。
廃藩置県までの三年ほど存在した。
現在は、遺構はほぼ皆無である。
名前 |
菊間陣屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.6 |
中央は忠魂碑です。
1868(明治元年)に、駿河沼津より水野忠敬が転封されて成立した菊間藩の陣屋跡周辺も散策してみましたが、完成前に廃藩置県を迎え、宅地化も進んでいることから、遺構は見られません。
唯一、新坂は陣屋関連遺構として見られました。