あるのみなので見逃さないでください。
国府台合戦 古戦場跡 / / .
なるほど。
国府台合戦の説明は、”野菊の墓文学碑”の隣にありますよ。
野菊の墓記念碑入口の階段脇に古戦場跡を示す「木柱」が、あるのみなので見逃さないでください。
後北条氏と里見氏が関東の覇権をかけて戦った、第二次国府台合戦の激戦地で、局地的には後北条氏が敗退したところです。
が、局地的には敗退した後北条氏が、大局的には勝利を収めることになりました。
戦闘レベルの勝利が戦術レベルの不利をひっくり返すわけではないという教訓かもしれません。
現在は、ただ一本の標識が立ち、階段を上がったところにあるお寺に案内板があるだけで、当時を偲ぶよすがは残っていません。
急な坂を登ったところに、古戦場跡を示す木柱があります。
1564年に起こった第二次国府台合戦での激戦地。
北条綱成の娘を妻に持つ遠山綱景が戦死したのは、この辺りかも知れません。
この坂を登ると、かつては要所であったことを感じます。
今は近くには野良猫がいて、のどかな場所です。
急な坂を登ったところに、古戦場跡を示す木柱があります。
1564年に起こった第二次国府台合戦での激戦地。
北条綱成の娘を妻に持つ遠山綱景が戦死したのは、この辺りかも知れません。
この坂を登ると、かつては要所であったことを感じます。
今は近くには野良猫がいて、のどかな場所です。
名前 |
国府台合戦 古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
矢切一帯は江戸からの北条氏と待ち受ける里見氏が対峙した古戦場ここには野菊の墓文学碑、西蓮寺、野菊苑があり、あたたかい秋の日の野菊苑には多くの猫が日向ぼっこをしており平和なひとときに癒やされました。
この高台から矢切の渡しにかけて、一面矢切ねぎ畑が広がっています。
<国府台の合戦>(第二次国府台の合戦)永禄7年(1564)1月、里見義弘は上杉謙信を加勢のため1万2千の軍勢で出陣し、1月4日国府台城に入ります。
対する北条氏は軍勢2万で江戸城から出陣し江戸川を矢切付近で渡ると、台地に上がる坂(現:野菊の墓文学碑付近の「矢切大坂」)の途中で里見軍の反撃に遭います。
結果、敗れた北条側は退却と見せかけて、翌日未明に再び江戸川を渡って里見軍を夜襲します。
前日の戦勝に気を許していた里見軍は重臣を奪われたと伝えられます。
市川市の里見公園が国府台城址にあたり、後世に建てられた里見軍将兵の供養塔があります。
大正7年江戸川改修工事のとき、当時の武器や刀剣類が多数発見されたそうです。