ホンセンジと読むんですね梵鐘が趣のあるとても立派な...
Googleルート検索だと、青物横丁駅出て左に行き、ジュネーヴ平和通りの方から行くようになるけど、そっちからだとわかりにくいし遠い。
右に出て道なりに行くと青物横丁商店街にぶつかるのでそこで左折。
そっちから行った方が早くてわかりやすいと思います。
門横の大仏様から始まって、樹齢600年の銀杏の木等、見どころ満載ですね。
境内は広くて、七福神の像や、参拝者がつくための小さな鐘もあり、ぶらぶらしてるだけで楽しいし癒されます。
薬師堂内には如来像も祀られてますのでこちらもお見逃しなく。
東海七福神の毘沙門天で品川寺(ほんせんじ)と読みます。
平安時代に開創されたと伝えられる真言宗醍醐派の別格本山で、品川区で最も古く地名の由来にもなっています。
入口脇にある江戸六地蔵第一番の地蔵菩薩や弁天堂、大梵鐘等見所も多いお寺です。
昨年2023年11月20日(月)に撮影。
しながわ観光協会ホームページ:海照山普門院 品川寺(ほんせんじ)は、真言宗醍醐派の別格本山で大同年間(806~10)開創と伝えられる品川区で最も古いお寺です。
本尊は水月観音(非公開)。
東海七福神の毘沙門天を祀っています。
入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像は「江戸六地蔵」の一つで神田の鋳物師 太田駿河守正義の作。
東京都有形文化財に指定されています。
鐘楼にある大梵鐘は「洋行帰りの鐘」と呼ばれています。
梵鐘は慶応3年(1867)パリ万国博覧会出品後に行方不明となりましたが、スイス・ジュネーヴで発見され、60余年を経て昭和5年(1930)に里帰りを果たしました。
境内の大イチョウは幹囲5メートル、35センチ、樹高25メートルで樹齢は約600年。
秋にはこのイチョウから取れる「厄除開運ぎんなん」が人気となっています。
江戸三十三観音第三十一番札所。
「品川寺」を「ほんせんじ」と呼びます。
因みに東京十社の「品川神社」は「しながわ」と呼びます。
「品」を「ほん」と読むのは「九品仏」と同じです。
仏教独特の読み方でしょうか?山門の前には東海道を行き交う旅人を見守るかの様に「江戸六地蔵一番」の大きなお地蔵様が鎮座されています。
頭のブツブツ、螺髪(らほつ)が見当たりません。
代わりと言ってはなんですが寺務所隣の樹齢600年のイチョウには立派な気根(空中の根)が有ります。
イチョウの気根は乳房に見立てられ子宝に恵まれる、及び安産祈願に崇められています。
見どころは“江戸六地蔵”の1つに数えられる銅造地蔵菩薩坐像。
愛嬌ある造形の金生七福神。
中に入ってお参りできる本堂。
・・・といったトコロ。
境内は広過ぎず狭過ぎず。
荘厳・・・というよりは庶民的で親しみやすい雰囲気が◎。
東京都品川区南品川、新京成青物横丁駅より徒歩5〜6分でしょうか…。
街道沿いの品川の宿ですので歴史的な建造物が本当に多いです。
品川寺は、真言宗醍醐派別格本山のお寺です。
江戸六地蔵のひとつ地蔵菩薩の大仏は3m近くあり立派なものです‼️七福神等も祀られており見応えは十分にあると思いますよ☝️文化財も何点もあり歴史的にも重要なものですので、是非訪問して下さい。
東京の品川区にあるお寺でしながわと読むのかと思ったら、まさかのハズレで品川寺は ほんせんじ と読むのだ‼️旧東海道品川宿の南側、現在だと京急青物横丁駅からすぐにあります入って直ぐに鎌倉大仏のミニチュア版が印象的な、七福神の石像もあってホンワカさせられた☺️
品川寺と書いて『ほんせんじ』と読ませる。
ここの梵鐘はパリ万博で展示された後、行方不明になったという。
(ウィーン万博ではないかという説もあるらしい)境内を掃除しているおじさんによると、なかなか見つからないので、日本人留学生に連絡をして探してもらったら、あっと言う間に見つかったのだそうだ。
いかにもおじさん見て来たような話であるが、ジュネーブの博物館で見つかったのは大正8年(1919年)、戻ってきたのは昭和5年(1930年)である。
寺院名の読み方は「ほんせんじ」。
江戸六地蔵尊の旧東海道を担当するお地蔵さまで有名な寺院。
江戸から延びる各街道の寺院に設けられた江戸六地蔵尊のうちの一体が祀られています。
旧東海道に面して人々の往来を江戸時代の頃から見守っています。
大きなお地蔵様なのでかなり目立ちます。
梵鐘にも珍しいストーリーがあり、幕末のパリ万博に出品されたあと、行方不明になっていましたが、スイスのジュネーブにおいて発見され、無事に寺院に返還され、一連の出来事をきっかけに品川区がジュネーブと姉妹都市協定を結ぶに至りました。
本堂はちょっと洋風を混ぜたような独特なデザインが目を引きます。
品川寺は「品川」地名の由来となった品川区で最古の寺で、創建が平安時代前期と伝えられます。
品川寺は、(しながわじ)ではなく(ほんせんじ)と読むとのこと。
知りませんでした。
瓦屋根木造の格式ある山門をくぐると緑の木々に覆われた境内が広がり、賑やかな旧東海道とは別世界の静かな空間が広がっています。
境内には、山門前に都の文化財に指定されている銅造地蔵菩薩坐像、山門内に品川区指定の天然記念物である大銀杏、第四代将軍徳川家綱の寄進と伝えられる重要美術品の梵鐘、石像の七福神などがあり、更にカフェ(品川茶屋)まであることに驚かされました。
稲荷神社、弁財天、庚申塔などもあり、多彩です。
品川有数の古刹であると同時に、見所が多い伝統的寺院です。
東海道に面し、真言宗醍醐派の寺院で、品川区で最古のお寺だそうです。
江戸六 地蔵第一番、江戸三十三観音霊場第二十一番、東海七福神(毘沙門天)が祀られています。
そんな歴史あるお寺さんにお参りさせていただきました。
品川寺と書いて「ホンセンジ」と読みます。
入口には大仏さまが鎮座して居ます。
歴史を感じることができるお寺です。
なかには樹齢600年以上の立派なイチョウの木もあります。
一歩入ると、閑静な場所でとても落ち着きますよ。
またカフェもあり寛ぐことが出来ます。
ちょっと蚊が多いかな…
見所満載ほんせんじ 毘沙門天に弁財天 金運アップにも御利益がある 七福神の他、役の行者大イチョウ、境内カフェ、菩薩様等々 飽きが来ない 参拝客も途切れません。
平安時代前期に開創された真言宗品川寺は品川区最古のお寺だそうですです。
品川寺と書いて「ほんせんじ」と読みます。
品川の地名の由来となったとのことですです。
正月には薬師堂で総守護神「毘沙門天」の御開帳が行われています。
(22年は2月3日の立春の日まで)
よく手入れされていて木々が豊かで落ち着くお寺です。
いらっしゃる皆さんもとても親切で散歩でよく寄ります。
旧東海道通りで見事ないちょうに誘われて〜七福神のお寺でした。
品川寺は旧東海道にある静かな寺院でした。
七福神やカフェもあり滞在時間も長く過ごせそうです観音様がいらっしゃったのでご真言を上げさせてもらいました。
また行きたいお寺さんです!青物横丁駅からすぐです。
会社の帰りに心の洗濯…と思って歩いて行きました。
日暮れもあって薄暗かったですが、商店街に沿っており入りやすいです。
こんな所にこんな仏像が?!から始まり、小さなお寺さんですが見応えがあり、気持ちのいい寄り道でした。
住職さん?がたまたま出てきて会釈となりました。
気持ちよく帰宅しました。
ありがとうございます!お近くにお越しの際は是非お寄りください。
東海道品川宿の近くにある由緒あるお寺です。
大きな仏像が見どころです。
真言宗醍醐派の別格本山のお寺です。
門前の大きなお地蔵様が目印です。
ご本尊は観世音菩薩様。
護法のお稲荷様や弁財天様もいらっしゃいます。
ヨーロッパまで旅した鐘もありますよ。
春は桜がきれいです。
江戸6地蔵をはじめ、観音さまや弁天様などなど仏像豊富で見仏人には嬉しいお寺。
どことなく中華雰囲気のただよう本堂は、観音様の功徳が感じられる演出がグー👍
品川寺このお寺は品川に古くからあるお寺で、その歴史が面白い。
品川そのものの歴史となっている。
昔教えてもらったその内容が、品川寺のWebに記されているので、その文章の一部を御借りしてここに記しておく。
”品川は、1200年、中世といわれた時代からは、「港町」として栄え、江戸時代(1603年~)になると、東海道五十三次の第一番目の宿場町となり「旅人の町」として最も栄えました。
当時の人口は、6000人、家数1200件を数え、そのうち約130件前後は、「旅篭屋」でした。
品川寺の歴史は、大同年間(806年~810年)に開創された品川で最も古いお寺です。
本尊「水月観音」は、弘法大師空海上人(774年~835年)が東日本を教え、導いた時、この地の領主、品河(しなかわ)氏に授け、以来、応永2年(1395年)品河左京亮の代まで代々同家に伝えられました。
同年、足利・上杉の合戦(上杉禅秀の乱)で品河一族は滅び、それ以後は、草堂に安置され「観音堂」と称され、町の人々の信仰を集めてきました。
その後、太田道灌が、この地に勢力を伸ばすと、道灌は「水月観音」を信仰し、あわせて自分の持仏である「聖観音」像をここに移し安置しました。
そして、長禄元年(1457年)道灌は、御殿山から江戸城に移るとき、この地に伽藍を建立し、「観音堂」を「金華山普門院大円寺と号しました。
永禄9年(1566年)、甲州の武田信玄が小田原の北条氏政を攻めたとき、北条氏の支配下にあった品川一帯は、焼き払われ、観音堂も焼かれ、「水月観音」像は、甲州に持ち出されました。
その後、信玄は、一人の「聖」山伏に頼み、水月観音像を品川の観音堂の地に持ち帰えらせ、草堂を造り、安置させました。
江戸時代に入ると、山形県の僧、弘尊上人が、この草堂に住持し、「水月観音」像を奉持、寛文元年(1652年)四代将軍・徳川家綱公により寺領4800坪を拝領し、太田一族の外護のもと、一大伽藍を建立し、寺号を「金華山普門院品川寺」と改めました。
お寺は大きく栄えました。
この間、明暦3年(1657年)9月18日には、弘尊上人の発願により、徳川三代の将軍、家康・秀忠・家光の供養のために大梵鐘が、京都三条の鋳物師・大西五郎左衛門により、鋳造され、四代将軍・徳川家綱によって寄進されました。
この大梵鐘は、徳川三代の将軍の号、東照宮、台徳院殿、大猷院殿と、京都七条の大仏師・康斎による6体の観音像が浮き彫りにされ、さらに、観音経一巻が陰刻されており、「武蔵風土記」、「江戸名所図絵」には『世にもまれなる梵鐘』と記されている銘鐘です。
宝永五年(1708年)には、江戸深川の僧、地蔵坊正元の発願により、座高2メートル75センチの青銅の地蔵菩薩座像が、江戸・神田鍋町の鋳物師・太田駿河守正義によて鋳造され寄進されました。
この地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と称され、品川寺には、その第一番東海道の尊像として、「天下安全、仏法繁栄、衆人快楽」の祈願のもと奉安されています。
境内には、樹齢400年の大銀杏と、その下に2メートルの自然石に釈迦如来の種字「バク(baku-)」を彫り、「光明石」と称して、江戸時代の民間信仰を代表する見事な庚申塔も、当時の繁栄を今に伝えています。
江戸時代を通し。
品川寺は、本尊水月観音と大梵鐘、江戸六地蔵第1番尊の3つを、お寺の三宝として、大切にし、町の人々の深い信仰と、東海道を行き交う多くの旅人にこよなく愛されました。
時は移り、江戸時代の末(1850年代)から明治維新を迎えるころ、寺域は全く荒廃し、大梵鐘も海外に搬出され、草堂一宇に本尊を安置し、江戸六地蔵と共にわずかに法灯を伝えるのみとなりました。
大正5年(1916年)順海和上が入山、行方不明の大梵鐘を捜すなか、、品川寺の復興計画もめぐらされました。
大正8年(1919年)大梵鐘は、スイス国ジュネーブ市アリアナ美術館にあることを確認、同12年(1623年)には、観音堂が完成、同15年(1926年)5月18日に順海和上は、品川寺第三十世住職として晋山しました。
以後、計画は順調に進み、昭和5年(1930年)5月5日には、大梵鐘がジュネーブより贈還され、これを期に、鐘楼、会堂、客殿、拝殿、会館と建立され、今日に至っています。
”
中々独特の雰囲気のあるユニークな寺院です。
不思議な気を感じます。
む。
大仏化した立派な地蔵と立派な鐘と立派なイチョウと七福神巡りの寺。
ほんせんじ、と読む。
ヨーロッパ彷徨ったジュネーブ鐘は一般人叩けないが本堂の鐘は叩きがいあるいい響き。
以下wikiより抜粋。
この時代、どうやって突き止めたのだろう。
住職の力恐るべし。
---大正8年(1919年)、当時の住職であった仲田順海は鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館(ドイツ語版)に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始した。
---…カビゴンを求めて彷徨い着いた寺。
カビゴンには逃げられたのだが代わりにリアルカビゴンに出会えたので記念口コミ。
ちなその地蔵菩薩はジムの仕事も務められてる。
品川寺は、「しながわでら」ではなく「ほんせんじ」と読みます。
旧東海道から少し入ったところにある緑がうっそうと茂ったお寺です。
弘法大師が開いたという品川寺のご本尊は観世音菩薩で、不思議なことに寺の敷地には七福神が鎮座しています。
しかも少しこんもりとした盛土のようなところに七福神様はいらっしゃいます。
前庭も含めて普通のお寺にはない独特な世界観を出しています。
ここはしながわ寺ではなく、ホンセンジと読むんですね😃梵鐘が趣のあるとても立派なものでした。
東海道七福神巡りで訪ねました。
朝日に照らされ居心地良き、真言宗のお寺様でした。
しながわてら、ではなく、ほうせんじ、と読みます。
広くて歴史のあるところです。
〔海照山 普門院 品川寺(ほんせんじ)//Honsenji temple〕 東海道 を見守った、仏様! 梵鐘は、国際交流の架け橋。
京急 青物横丁駅 の改札を出て、右方向に歩いていくと、旧東海道との交差点、セブンイレブンの手前を右に曲がると、あとわずかで 品川寺の入口です。
青物横丁駅の前の道は、「ジュネーブ平和通り」と名付けられてますが、このお寺の梵鐘のにまつわる数奇な物語が、名前の由来とのこと。
以前の私は、ここは東京の品川なのに、何故ジュネーブか、そう素朴に思っていました。
<街道の平安を見守る お地蔵様>さて、お寺の入口には、大きなお地蔵様の仏像があります。
江戸時代には、街道の入口に、旅の安全や無事を願い、お地蔵様がまつられました。
このお地蔵様は東海道の安全を 見守り続けています。
<約千二百年の古刹>お寺の開基は大変古いので、驚きました。
大同年間(806年~810年)とされ、真言宗の開祖 空海 が開いたとされます。
ご本尊は水月観音 と 聖観音 です。
毘沙門天 もまつられていて、東海七福神の一つとなっています。
また、鐘楼の近くには、小さな七福神さまたちが 祀られています。
なお、品川寺は 真言宗醍醐寺派 の別格本山で、大変格式も高いお寺です。
<時代を見つめた 大いちょう>境内にある大いちょう は、樹齢が約六百年と言われています。
江戸になる前から、江戸へ、そして東京となった街の移り変わり、人々の生活の傍らで行き続けた姿を見ていると感慨もひとしおになりました。
<数奇な運命の梵鐘>忘れてならないのは、梵鐘のたどった運命です。
その昔、ヨーロッパの万博に展示され、行方不明になりました。
その後、発見され、ジュネーブの方の協力で返還されました。
それから品川区の人々とジュネーブの人々は大変、仲良くなりました。
街路表示板の中には、ジュネーブの方々からの贈り物も含まれています。
ほんせんじ。
正式名称は海照山普門院品川寺です。
弘法大師空海を開山とし、大同年間(806年~810年)に創建されたと云われています。
真言宗醍醐派の寺院で、御本尊は聖観世音菩薩です。
山門手前の銅造地蔵菩薩坐像は東京都指定有形文化財です。
青物横丁駅から徒歩で約5分です。
品川寺の読み方は「しながわでら」ではなく、「ほんせんじ」です。
海照山品川寺にまつわるお話です。
r一書曰く「普門院と号す。
真言宗にして、京師(みやこ)三宝院に属す。
開山は権大僧都弘尊(ごんだいそうずこうそん)法印と号せり。
本堂 本尊聖観世音菩薩(海中より出現ありし閻浮檀金(えんぶだごん)の霊像にして、弘法大師の念持仏なりといえり。
世に水月観音と称(とな)え奉る。
この霊像の利益感応のすみやかなることは、あたかも、月の水に影をやどすがごとくなりというこころをもって、かく号(なづ)くるとなり」。
薬師堂(中門の左にあり。
本尊薬師ならびに十二神将の像を安置す。
弘法大師作なり)。
紫銅地蔵尊(門を入りて左の方にあり。
石を畳みて台座を設く。
宝永五年戊子(1708)、沙門正元坊建立するところにして、江戸六地蔵の一員なり)とあります。
その他に、本尊の縁起によれば、永禄九年(1566)に武田信玄が不意に江戸に押し寄せ、このとき、甲州方の竹森と蔭村という二人の侍が、品川観音の御堂を焼き本尊(水月観音)を奪って甲州へ帰ったが、祟りがあったのか本人は狂乱し本尊を元に遷(うつ)した、とあります。
ですから、今も品川寺の御本尊として鎮座されています。
ただ、御開帳はされていないとのことでした。
また、江戸六地蔵菩薩とは、六街道(東海道、奥州街道、甲州街道、中仙道、水戸街道、千葉街道)の入り口に鎮座して、道行く人々の無事を守り、江戸府内の疫病を払い、世を浄土にするために建立されたものだそうです。
大きなお地蔵さんが出迎えてくれる。
寺院内に小さな鐘が突けます❗駐車場🅿️無料です。
1台。
関東三十六観音旧東海道沿の名刹。
まだ行った事が無いので 行って見たいものですね。
参拝する人も多く、江戸三十三観音巡りで、来たのですが、地蔵尊には、圧倒されました🙇 江戸三十三観音巡りが、結願し、江戸六地蔵尊巡りを始めて、再度参拝しました🙇六地蔵尊の御朱印をいただきました🎵
再訪2017/1/7拝受 江戸三十三観音霊場第31番札所の御朱印(普門院)と江戸六地蔵第1番の御朱印と東海七福神毘沙門天の御朱印の3種頂きました!東海七福神は正月~15日まで。
有り難く御朱印を頂きました!2016/8/27拝受 江戸三十三観音巡礼第31番札所&江戸六地蔵第1番。
3メートルはあるか巨大な地蔵菩薩は圧巻。
境内にある樹齢600年を超える銀杏の木をみると戦災から逃れた歴史を感じられました。
江戸三十三観音第31番の御朱印と江戸六地蔵第1番の御朱印、2種頂きました。
有難う御座います!
平成28年12月11日日曜日訪問。
江戸六地蔵の一つ、銅造地蔵菩薩座像がありました。
かなり立派でした。
一度お試しを!
名前 |
品川寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3474-3495 |
住所 |
|
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評価 |
4.0 |
品川の地名由来となったほんせんじ。
大きな菩薩坐像もあれば、徳川家綱四代将軍に命じられた造られた大梵鐘(国指定重要美術品)や、絹本着色仏曼茶羅図(国指定重要文化財)、沢山の仏像があるそうです。