学問修行に励まれました。
先輩と病封じのため願掛けに来ました。
ひっそりと佇む社屋、成就院という名前、蛸薬師の由来、とても素敵な場所でした。
成就院は天安二年(858年)に慈寛大師円仁により開創されました。
通称で蛸薬師と呼ばれています。
大師四十歳の御入唐の際の帰路で、自ら刻んだ御持仏(薬師仏)を海神に献じ難を避け無事筑紫の港に帰り着かれたといわれています、その後大師の諸国巡化の砌に肥前の松浦で海上に光明を放ち先に海神に捧げられた御持仏(薬師仏)の像が、蛸に乗って浮かんでいる姿を観て随喜の涙にむせび、その後東国を巡り天安二年(858年)目黒の地にこられた時に病気平癒のため、先に松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して一刀三礼し霊木に刻み、護持仏の小像を其の胎内に秘仏として納め蛸薬師如来と称え奉られました。
元和の頃徳川三代将軍家光公が、目黒の里に鷹狩りの道すがら当山に参拝し御本尊の霊験を舜興和尚からお聞きになっています。
毎年一月八日に初薬師御開帳護摩が行われます。
無気力だし、緩い御朱印が500円だし、中は駐車場だし、とにかく金への執着心の強い寺だということはわかりました。
2022.3.28山手通りから目黒不動尊へ徒歩で向かう途中、拝殿の壁にタコの絵が掲げられている寺が目にとまった。
何だろうと思いながらも、目黒不動尊へ向かい、参拝の帰り道立ち寄ってみた。
由来記を見ると、1600年迄は遡る。
拝殿のタコは、福をすいよせるとされた蛸薬師の由縁で、疫病除けの寺として徳川秀忠の側室や家光にも関係する。
858年(天安2年)慈覚大師(円仁)の開山で、本尊は大師の自作と伝えられ3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来です。
俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々にあがめられていますと境内に設置されている看板に記されております。
目黒不動尊の近くにございますが、境内は小ぢんまりとしております。
ご本尊の薬師如来像は、普段厨子に納められているため、お前立ち(おまえだち:ご本尊代わり)の像が祀られております。
御朱印の取り扱いはございますが、お寺の方が不在の時が有るので、気をつけてください。
癌封じのためにお参り。
静かなお寺です 境内に大きな石仏や庚申塔があります。
可愛いカエルの石像もありました。
御朱印もお守りも頂けない。
受付をやっていませんでした、大雨、無念。
令和3年6月23日午後。
癌封じのためのお参りに再訪し、ご丁寧に対応、ご祈祷して頂きました。
令和3年6月28日午前。
ありがたや福をすいよせるたこ薬師目黒成就院。
これという見る価値のあるものはない。
確かに関係者の方は愛想なし。
しかし、仏花も周りもキレイにされてキチンとしてます。
縁起物を吸い寄せる蛸の吸盤をセールスしてます。
平成28年に此方でお墓を手にしました。
平成5年に亡くなった愛妻がお世話になって居ます、今でも毎週墓参りをして居ます、亡くなってから横須賀の実家のお墓に入って居ましたが縁あって住んでいる処に近く目黒のこの地で今は妻は永眠しています。
住職ご夫婦はとても素敵な方達です。
目黒不動の商店街にあります。
境内は小さいですが、なにか平和な雰囲気のするお寺で、つい中に入ってしまいます。
不動前駅から歩いて7、8分で目黒不動尊の参道沿いです。
お守りと絵馬の蛸の絵がかわいいお堂内右手に受付がありますので声がけすると購入できます。
858年慈覚大師円仁によって開創されました。大師は若い時から眼病を患い40歳の時、自ら薬師仏を刻み、御入唐の時も此れを肌身につけて行きましたが、 帰りの海路、波風が荒れたので、その御持仏を海神に献じて、無事に筑紫の港に帰り着きました。その後大師は、諸国巡化の砌、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神に捧げられたお薬師さまのお像が、蛸に乗って浮かんでいるのを観て、随喜の涙にむせびました。
その後、東国を巡り目黒の地に来た時、諸病平癒のために、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木に刻み、護持の小像を其の胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来と称え奉られました。かくして本尊の殊勝の12の大願による福徳威力、信心の人は、心願悉く成就し、除災長寿の利益遍く千年余の今に至るまで、弘く信仰されて来ました。
2019年7月、本尊は薬師如来で様々な病気にご利益があると言う事で参拝しました私は、長いことアトピーとパニック障害に悩まされているので、少しでも良くなればと、参拝しました。
御朱印は、書き置きでしたが、優しい対応ありがとうございました。
よい意味でさびれた、江戸のお寺感が残っています。
目黒不動さんもですが、カエルのオブジェが!
慈覚大師円仁は若いときから眼病を患い、40歳のとき、薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。
その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。
大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。
JR目黒駅より徒歩10分。
目黒区にある天台宗のこじんまりとした綺麗なお寺さんです。
慈覚大師の開山でご本尊さまは大師の自作と伝えられています。
三匹の蛸に支えらる蓮華座に乗る薬師如来像は俗に蛸薬師と呼ばれ疫病除の仏として人々に崇められています。
「信じて願えば何でも治る」とのご利益のおなで石やお静地蔵尊などで有名です。
ご朱印いただけます。
目黒不動に行く前に、とりあえず寄っとくかっていう場所。
天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行に励まれました。
承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろいろと苦学して、唐各地をまわり、たくさんの仏法を伝えて帰国されました(この時の旅行記が有名な「入唐求法巡礼行記」です。
この本は先年、米国の元駐日大使ライシャワー氏が研究し、英訳出版されました。
)大師は若いときから眼病を患い、40歳のとき、自ら薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。
その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。
大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。
かくして本尊の殊勝の12大願による福徳威力、信心の人は、心願ことごとく成就し、除災長寿の利益あまねく千年のいまに至るまで、弘く信仰されてきました。
お堂の中でお参りできたらいいのになぁ。
お庭の蓮の花が綺麗でした。
別名「多幸(たこ)薬師」。
こじんまりとしたお寺で蛸の絵が印象的です。
蛸の絵馬があり、沢山 幸せを吸い寄せてくれそうな感じです。
名前 |
成就院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3712-8942 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
私は、仏教徒ではありませんが薬師如来に興味があります。
なぜなら、病苦を救う力があるとされているからです。
自分はもとより、肉親や友人が病気になれば平癒を願いたくなりますね。
この薬師如来を御本尊にしている有名な寺院は、全国(日本)隅々まで多くあります。
例えば、奈良県の薬師寺や法隆寺、京都府の醍醐寺、島根県の一畑薬師、徳島県の平等寺など枚挙にいとまがありません。
昔から江戸(東京)では、上野の寛永寺薬師如来、新宿百人町の玉寶山長光寺(しあわせ薬師)、そして、ここ目黒の成就院(たこ薬師)が病気平癒や健康長寿あるいは災難除去・安産祈願の現世利益で名を馳せているお寺さんです。
「薬師如来」の正式名は「薬師瑠璃光如来」(やくしるりこうにょらい)といい、東方の浄瑠璃世界(現世)の教主で、阿弥陀如来のように死後の世に安らぎを与えるのではなく、病気を治して生きている間に願いを叶えてくれるのであります。
薬師如来の像容は、左手は与願(よがん)の印を結び薬壺(やっこ)を持って、右手は施無畏(せむい)の印を結び薬指を前に出しています。
他の装飾品などは持ちません。
(奈良時代までは薬壺を持たない像容もありますが)仕事の同僚が胃痛に悩みまして、受診したところピロリ菌が検出されたとのことで癌の心配もあることから、たこ薬師へ参拝祈願に来たわけであります。
ピロリ菌を吸いとってくれればとの思いです。
最寄りの駅は、東急目黒線「不動前」で、改札口を出て左側の小道を道なりに進んでください。