JR南武線の南多摩駅が最寄りの駅です。
多摩川三十四ヵ所観音霊場の参拝でお伺いしました。
臨済宗建長寺派のお寺で大慈山円照寺といい、観音霊場札所の第二十八番札所になります。
本尊は十一面観世音菩薩になります。
円照寺の創建年代は不詳ですが、明岳哲和尚が天正十五年(1587年)に中興したといいます。
当寺跡は天平の昔に、国分寺の屋根瓦(布目瓦)を焼いた跡地といわれています。
現在の円照寺は無住のため、御朱院は同じ観音霊場の札所二十二番の妙覚寺で頂けます。
大麻止乃豆乃天神社の隣にある臨済宗のお寺。
境内は静かで、よい感じです。
令和元年12.29参拝 多摩川三十四ヶ所観音霊場28番の御朱印を頂きたく訪れてのですが不在なようで書かれていた電話番号に電話してみると(書き留めなかったのでお寺名はまた確認)同じ多摩川三十四ヶ所観音霊場のお寺に転送され今御住職が居られないため御朱印はそちらで対応して下さるとのことちょっと距離があるので年明けに伺うことにしました。
大晦日に参拝^ - ^
2019/8/10拝受 臨済宗建長寺派の寺院。
多摩川三十四ヶ所観音霊場第28番札所の御朱印(本尊十一面観世音菩薩)を頂きました!
以前は、度々時代劇の撮影に使われていました。
臨済宗寺院。
府中街道から少し入ったところで、とても静か。
紅葉は、まだ先ですね。
本尊は、十一面観音座像です。
その他に赤い十王堂があり、正面に地蔵菩薩、その左右に閻魔王をはじめ十王が祀られています。
明治時代には、学校の教場なっていました。
また、本堂手前には湧水の池がその昔あり、「舌を抜かれたお獅子」という昔話があります。
円照寺 稲城市大丸の臨済宗建長寺派寺院 多摩川三十三観音霊場28番札所臨済宗建長寺派寺院の円照寺は、大寿山と号する。
円照寺の創建年代は不詳。明岳哲和尚が天正15年(1587)、中興したと言う。
円照寺門前には●二十三夜塔 自然石 台石 安政四年(1857) H131 W97 D20 (市・二十三夜塔1号)●庚申塔 笠付型 青面金剛 一面六手剣人 日月・一鬼・二鶏・三猿 左「奉建立庚申供養…」 「享保8年」(1723) の刻 (市・庚申塔19号) などがある。
その他・・・●宝塔 笠付型 十二仏円柱 台石 宝暦四年(1754) H375 W106 D106 (市・その他の石造物5号)新編武蔵風土記稿より大丸村、円照寺 除地、凡三段許。
字東方にあり。
大寿山と号す。
臨済派、橘樹郡菅村寿福寺末、開山の僧を傳へず。
中興開山を明哲西堂と云。
慶長六年九月十六日寂せり。
本尊十一面観音坐像にして長一尺五寸ばかり。
客殿七間半に五間東向也。
寺宝。
釈迦像一体。
木像なり。
長九分ほど、厨子の扉に録して云。
天竺酉佛師十六歳之時作武蔵大守源朝臣片山武蔵守家信公主とあり。
年代をしるさざること恨べし。
午王ノ玉一顆。
円径四寸八分ほどすべて毛あり。
又口とおぼしき所あり。
相傳ふ本朝四顆の一なりと。
土人これを拝せばかならず奇特の験あり。
中にも疱瘡にはわきて霊験ありと云。
十王堂。
客殿の巽にあり。
三間半、正面に地蔵を安し、左右に十王を列せり。
稲城市掲示による円照寺の縁起より臨済宗の建長寺派に属し、川崎市多摩区菅の寿福寺の末寺である。
寺院明細帳によると、明岳哲和尚が天正15年(1587)に再興したと記されている。
現在の建物は、安永8年(1770)に改修された物と言われている。
本尊は十一面観音菩薩である。
本堂の手前の池は、現在は水涸れであるが、十数年前までは湧水をたたえていたという。
この池には「舌を抜かれたお獅子」という昔ばなしが残されている。
明治以降は、現在の第三小学校の全身である大門学舎(明治3年)、大円学校(明治7年)、済美学校(明治11年)の教場として使われ、教育の面でも大きな役割を果たした。
隣接する、大麻止神社の「大麻止」が「大圓」「大丸」と変化し、地名になったとも云われている。
JR南武線の南多摩駅が最寄りの駅です。
今回は自転車で府中街道の是政橋を渡り、医王寺の前を通って行ってみました。
多摩川三十四ヶ所観音霊場第28番札所です。
臨済宗建長寺派の寺院で本尊は十一面観世音菩薩です。
本堂は木造の味のある建物でした。
赤い屋根の十王堂という十王を祀った比較的小さなお堂がありました。
隣に大麻止乃豆乃天神社がある竹林に囲まれた静かな場所です。
名前 |
円照寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-377-7640 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
ご住職不在のお寺です立派なお寺なので勿体無い⁉️お参りには急斜面等 年寄りは足元怖がりますお骨納めの作業は…身軽で手順良くて凄いです。