こちらも人が少なくて見やすかったです。
墳丘全長 66mの前方後円墳で古墳群中では二番目に小さい古墳で、二子山古墳の半分ほどである。
しかしながら二重の周堀と中堤を持つ、所謂稲荷山古墳の形式を踏襲していると言っていい。
西側括れ部より後円部寄りに張出部(造出しではないそうだ)が設けられており、そこでは祭祀が行われたようである。
また特殊な埴輪が検出されていて、それが盾持人埴輪である。
この埴輪は 福岡県仙道古墳 宮崎県新田原古墳群百足塚古墳 からも同様の埴輪が検出されており、大和政権との強力な繋がりが考えられるのではないかと言われている。
この様な埴輪の検出から6世紀前半から中頃にかけて築造されたものと見られている。
主体部は検出されていないようだ。
名前の由来は東側から見ると一番奥にあるからだそうだが・・・稲荷山古墳から見ると一番奥にあるからと言ったほうが判りやすいと思うのだがな。
近くにある二子山古墳と比べると見劣りはしますが、充分に大きい前方後円墳です。
奥の山古墳は奥にあるから奥の山古墳と言われています。
全長66.4m後円部径38.4m高さ5.6m前方部幅43.2m高さ6mで築造は6世紀中頃。
2021/7/6全長66mの前方後円墳です。
6世紀中後期造成です。
公園のベンチからゆっくり眺めることができます。
人もめったにいません。
敷地内が綺麗なので、古代を想像しながら散歩している。
特別史跡埼玉古墳群を構成する前方後円墳の一つ。
稲荷山古墳などの有名どころからは少し離れていて人気も少なく、どちらかと言えば地味な古墳です。
'210723 古墳群は広大で未調査の古墳もあり先が楽しみです。
埋葬品には国宝に相当する展示品もある。
水田で履く下駄が、場所(難波田)によってはかんじきタイプがある。
9つある埼玉古墳群の1つ。
高さ6.0メートル。
奥の山古墳は、埼玉古墳群中、唯一の盾形の1重周堀であるという見解がだされ、誤った整備をされてしまった過去があります。
出土品に関しても、埴輪片は多いのに復元できる程のピースが揃わないという非常に歯痒い思いがある古墳です。
しかし、地味なイメージのままで終わる事はありませんでした。
一時は無いと言われていた外堀から姿が分かる盾持ち人埴輪が見つかった事で、これから注目が集まるのではないかと期待しています。
国の指定史跡に指定されている埼玉古墳群の中の一つであり、前方に鉄砲山古墳があるのでそれを回避するかのように小さくこじんまりと築かれた前方後円墳🌿🌿古墳自体、何かあっさりとした感じです😌面白い形をした祭祀に使用した子持壺や大型器台が出土した場所でもあります🤓
ビニルハウスが印象的。
大きいが近づけず、印象が薄い。
こちらも人が少なくて見やすかったです。
きれいに見やすく残ってます。
🌸がきれいでした。
北鴻巣(きたこうのす)駅から武蔵水路(むさしすいろ)に沿って、「さきたま緑道(りょくどう)」を歩いてくると、最初に見えてくる古墳が奥の山古墳です。
埼玉(さきたま)古墳群の多くの古墳が大字埼玉に分布していますが、奥の山古墳や中の山古墳は大字渡柳(わたりやなぎ)にあります。
渡柳地区にある古墳は、東から戸場口山(とばくちやま)古墳・中の山古墳・奥の山古墳と並び、一番奥にあることからこの名前が付けられました。
1968(昭43)年に周堀(しゅうぼり)の一部の発掘調査が行なわれ、埼玉古墳群では唯一、一重で盾形(たてがた)周堀と考えられていましたが、2007(平19)年度から2009(21)年度まで行った発掘調査で、台形で二重周堀の前方後円墳であることや、墳丘の全長がこれまで考えられていた長さより4m短い66mであることが分かりました。
また、周堀については埋まっていた土を分析したところ、水のない空堀(からぼり)であったことも分かりました。
奥の山古墳は、発掘調査の成果をもとに平成21~25年度に復原整備を行いました。
( ↑ 引用させて頂きました)
古墳巡りなんてしたこともなかったけどコジンマリとした古墳ですが周りの景色ともにいいところでした。
自然そのままといった感じです。
北鴻巣(きたこうのす)駅から武蔵水路(むさしすいろ)に沿って、「さきたま緑道(りょくどう)」を歩いてくると、最初に見えてくる古墳が奥の山古墳です。
埼玉(さきたま)古墳群の多くの古墳が大字埼玉に分布していますが、奥の山古墳や中の山古墳は大字渡柳(わたりやなぎ)にあります。
渡柳地区にある古墳は、東から戸場口山(とばくちやま)古墳・中の山古墳・奥の山古墳と並び、一番奥にあることからこの名前が付けられました。
1968(昭43)年に周堀(しゅうぼり)の一部の発掘調査が行なわれ、埼玉古墳群では唯一、一重で盾形(たてがた)周堀と考えられていましたが、2007(平19)年度から2009(21)年度まで行った発掘調査で、台形で二重周堀の前方後円墳であることや、墳丘の全長がこれまで考えられていた長さより4m短い66mであることが分かりました。
また、周堀については埋まっていた土を分析したところ、水のない空堀(からぼり)であったことも分かりました。
奥の山古墳は、発掘調査の成果をもとに平成21~25年度に復原整備を行いました。
( ↑ 引用させて頂きました)
草だらけでした。
名前 |
奥の山古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
048-559-1111 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
四角形の二重の堀をめぐらせていた6世紀前半の前方後円墳です。
造出し部には子持壺、外堀からは盾持人埴輪が一体みつかっています。