旧北陸道に面した交通の要で上杉謙信が西方に攻める際...
旧北陸道に面した交通の要で上杉謙信が西方に攻める際は必ず落とされ村はその度に荒らされたと言われます。
土塁が残っていて当時は四方を大きな土塁で囲まれていたことが分かります。
現在は東側の土塁のみ整備•土地開発などで消失しています。
その土塁の上に天満宮が建てられ桜の木もあります。
時期になるとキレイだと思います。
若栗城の城主•不悪凡済右京輔(ふあくぼんさいうきょうのすけ)の娘は侍大将として上杉謙信と戦い、上杉勢の放った矢を竹筒に集めて打ち返していた。
しかし上杉勢は攻撃の手を強め、ついに女侍は討死。
城も落ちたと伝わる。
上杉軍と激突した北側には鑓分(やりわけ)という地名がついている。
若栗城跡は南北朝時代あたりの城跡との事。
誰が築城させたのか、入城した郡代も不明。
サイズは砦レベルだが、土塁は高い。
若栗城は堀切東館、西館、石田城の防衛線の南端に位置し、山側に土塁が無いこの字型をしている。
元々の縄張りが明確でない。
時期には桜や彼岸花が美しく土塁を彩る。
史跡の説明がある側の土塁に彼岸花が咲いていました。
少し早いのかな?
小学生の頃、歴史の授業で来た以来かな🐷💦懐かしいッス、戦国時代の遺産…どんだけ時間計画してんの。
堀は埋められてしまっていますが、5~6Mほどの高さの土塁がコの字形に残り往時をしのぶ事が出来ます。
虎口は道を屈曲させ、張り出し部や櫓台跡も有り横矢をかける工夫が施され、防御力を向上させている様に見えます。
ごく小さなただの小高い丘で城跡としての見所もあまり無いように思われました。
とやま城郭カードに選ばれてます。
残されている貴重な土塁の高さはかなり高いです!もちろん登れます。
跡地は天満宮や公園になってます👍
綺麗に整備されている。
トイレもあり春にはサクラが咲きます。
周辺は田んぼが広がっているので何となく戦国時代を想像します。
個人的ですが…土塁が格好いいです。
桜のころにはサイクリングコースにします❗️町内の方々がきれいにされていて、満開のころにはライトアップされるみたいです。
桜が綺麗でした~!
桜吹雪が最高です✨
元は方形の館跡であったのだろうが、現在はコの字形に土塁を残している。
しかし土塁の高さは5m程度もあり、当時の規模がうかがえる。
見所は西側の張り出しを持つ虎口。
名前 |
若栗城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kurobe.toyama.jp/category/page.aspx?servno=3311 |
評価 |
4.0 |
近所の人の話では もっと土塁♬も堀♬も あったけど 削られ埋められてしまったそうな😯