名前 |
宮ケ谷戸住吉神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.2 |
宮ヶ谷戸住吉神社(みやがやとすみよしじんじゃ)主祭神 底筒男命 中筒男命 上筒男命合祀神 神功皇后 天照大神 菅原道真公 木花之佐久夜毘売命 須佐之男命 天手長男命 伊邪那岐命 伊邪那美命 豊宇気毘売命由緒この地はもと利根川流域にあり、舟楫守護の祖神として住吉の神を祀ったといわれています。
のちに別当寺僧の信仰から聖天の功徳が説かれ、社殿を造営して「聖天社」「聖天様」と呼ばれた時期もありました。
明治維新後、旧称に戻しました。
氏子内には松を植えず、雉子を尊ぶのは、聖天信仰の遺風といわれています。
(サイト「Fukapedia」参照)「堀の内」の伝説宮ヶ谷戸の住吉神社のある辺りが宮ヶ谷戸館の跡であるといわれています。
宮ヶ谷戸城が誰の居館であったのかは明らかではないですが、嘗ては方150m程もあり、周囲を土塁と堀が巡っていたといわれています。
徳川時代、宮ヶ谷戸は、旗本山本氏の所領となりました。
そのころ当地に、ある豪族が周囲八十間の堀を構えて住み、里人には「堀の内」と呼ばれていました。
堀の内は領主の命に従わず、また領民とも相容れず、遂に領主から罪を問われて村を追放されることになったといいます。
そのとき堀の内は、怒り狂って邸宅や財宝を焼き尽して村を去ったといわれています。
妻は奉公人とともにしばらく敷地の片隅で暮らしていましたが、幾許もなく自刃して果てたといいます。
ある氏子の先祖は、この豪族に仕えていたといわれています。
(「大里郡神社誌」参照)「翁の碑」「能見れば薺は那さく垣根かな」文化十年(1813)癸酉春二月芭蕉が貞享四年(1687)に深川の庵で詠んだといわれる句です。
春の七草であるナズナ(ペンペン草)の花は目立たないちっぽけな花です。
バラやボタンのような華やかさはないし、めずらしい花でもないのですが、「ナズナはナズナの花として、他の何をもってしても代えることのできない存在を、そこに精一杯咲かせている。
」という意味で捉えると、当時この句碑をここに建立した方の、地域を思う心が深く刻み込まれているように感じられます。
(個人的な感想です)