斎藤家、今後ともよろしくお願い致します?
いつもゴミひとつなく綺麗に管理して下さっています。
義母の墓に詣りました。
改修工事中で本殿を見ることができなかった。
震災で壊滅した本殿が、やっと新しくなるようです。
浄土宗の寺院です。
石畳を進むと左に鐘突台があります。
現在本堂は改築中です。
藤棚の所に休憩所かあり一息つけます。
浄土真宗のお寺さんです。
今、本堂の建て替え中です。
遠い徳川の時代からの歴史有るお寺様です。
我が家も、菩提寺になりたいが無理か?
水戸の大工町にあり近くには、水戸芸術館、YMCAがあります。
斎藤家、今後ともよろしくお願い致します🙏
親鸞聖人と信願寺開基の唯信(ゆいしん)房との出逢いは、聖人の鹿島明神参りを抜きには語れない。
当時は藤原家宮司が鹿島に任官されるのがならわしであった。
聖人も藤原家の流れをくみ、身よりのない関東の地にあって、その血脈を求めたことは想像できる。
その上、鹿島神宮には一切経が揃っており、その書見のために度々参詣したことは十分考えられる。
また、鹿島、行方地方の教化もその大きな目的の一つであったに違いない。
稲田から鹿島の道すじに橘村幡谷というところがあった。
域主幡谷次郎信勝が治めていた地である。
信勝は常に観音像を守り本尊としていたほど信仰が厚かった。
建保四年(1216)八月十三日の夜のことであった。
信勝の枕辺に、その守り本尊が現れて夢告した。
驚いた信勝が城外へ出てみると、三日月を仰ぎながら念仏を唱える僧の一団がいる。
信勝はさっそく域内へ案内して夜を徹して教化を賜った。
親鸞聖人の「他力本願」の教えは、無常に悩む信勝にとって救いであった。
さっそく聖人の弟子となり法名を唯信と授かった。
唯信はその後、各地を移り布教活動に励んだ。
「親鸞聖人門侶交名傑」によれば、北へ進んだ唯信は奥州に道場を建て、その後、常陸国小瀬のあたりに寺基を移したという。
さらに、寺の歴史は、慶長十年(一六〇五)水戸城西(信願寺町跡)に移築し、延宝九年(一六人一)火災に遭ったのを機に、水戸光因公の命により黄金若干並びに鞍馬入十頭を賜わって、現在の地に落ち着いたとされている。
開基唯信房は、親鸞聖人入滅後、九年間その墓を守ったといわれる。
その折に、山陰地方にまで脚をのばし布教したと伝えられ、裏付けとして、島根県浜田市真光町顕正寺で、開基を唯信房とし、二十四輩二十三番を名乗っていることがあげられる。
このような例は他になく、ほぼ間違いないとされ、各地を巡った唯信房が、かなりの健脚であったことが伺われる。
実家の菩提寺です。
3.11で壊れてしまった本堂の再建がやっと始まり、足元が悪いのでちょっと歩きにくいのでマイナス1点です。
お寺の方達は皆さん親切で感じが良い方ばかりです。
浄土真宗本願寺派。
国道50号線から県道30号線に入り、西側に有ります。
名前 |
信願寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
029-221-5769 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
2023年2月、鐘撞堂の瓦葺替え工事も終わってました。
梅の花がきれいに咲いてます。
2022年8月、ほぼ本堂は完成し、現在は内装工事をやっているようです。
月命日でほぼ毎月一回のペースで信願寺を訪れ、少しづつ本堂が組み上がっていく様子を拝見しましたが、鵤工舎の寺社建築の素晴らしさに毎月驚嘆してました。
建物好きの単なる素人ですけど、精緻と材料を極めた日本の木造建築は本当に凄いですね。
何年も経った寺社も素敵ですが、ピカピカの木造建築も素晴らしいです。
2018年4月現在、本堂建て替え中です。