平家が勝ち、木曽義仲の勢力が負けたのが「火打城の戦...
雪降る前に行ってきました。
観音堂の横から〔燧ケ城跡〕に登った。
「クマ出没注意」の看板にビクビクしながらおよそ25分で到着、眼下に〔北国街道・今庄宿〕を見おろす。
「燧ヶ城址碑」と刻んだ碑が建っており、裏面の説明の最後に、 義仲の寝ざめの山か月かなし 芭蕉 すって出る燧ヶ城の月日かな 千代女 の2句が刻まれている。
元禄2年(1689)奥の細道の旅で芭蕉は今庄に泊ったと思われる。
「義仲の・・」の句碑は〔倶利伽羅古戦場〕、〔今庄中央図書館〕にも建っている。
平家物語にも出てくる歴史ある山城です。
城跡も含めて付近は軽登山のハイキングコースになっています。
城跡は登り口から15分~20分くらいですが運動不足の身にはかなりシンドイです。
しかし山城らしく城跡からの眺望は良いです。
「クマに注意」の看板があるので鈴などがあると良いでしょう。
北陸での源平の戦いの緒戦、平家が勝ち、木曽義仲の勢力が負けたのが「火打城の戦い」。
※火打城は燧ケ城のこと義仲の勢力は火打城に立て籠もり、麓を流れる日野川を堰き止めて湖のようにして守りを固めた。
平家は内通者から情報を得て堰止湖を決壊させて火打城へ討ち入ったので、源氏側は潰走した。
平家は勢いを得て加賀国へ入った。
源平時代にこんな戦いがあったのだが、その後江戸時代になって松尾芭蕉が奥の細道の旅で当地へやってきた。
芭蕉は木曽義仲贔屓で、義仲の気持ちを慮って、次のような句を詠んだ「義仲の 寝覚の山か 月かなし」(松尾芭蕉)
本丸に石垣、櫓跡が見られました。
名前 |
燧ケ城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
虎口に馬出的な升形の要素を採り入れている様な…。
技巧的な築城術の様な気がします。