石刀神社は愛知県一宮市にある神社である。
名鉄ハイキングで寄ったスポットです。
干支をうまく隠した絵がありました。
いわと と読むらしいです。
石刀神社は愛知県一宮市にある神社である。
御祭神は手力雄命・国常立尊・豊斟渟尊・国狹槌尊。
石刀神社の祭礼で、毎年4月19日の直後の日曜日に山車が曳かれる。
山車は戦前までは5輌があったが、太平洋戦争の空襲で2輌が焼失し、現在は3輌となっている。
徳川家康も参拝したことのある由緒ある神社でもある。
現在、石刀神社の境内には移動図書館が月に1回来る。
関ヶ原の合戦のときに、徳川の重要な陣として使われたそうです。
そのことで葵の御紋を使うことが出来る数少ない神社となったということです。
西向きに建てられた社殿、石刀神社桜咲く長い参道で行われる石刀祭り崇神天皇の代、石刀社として創建当初、尾張国中島郡四条の地に創建されたと伝えられています。
現在も一宮市には三条という地名が残り、その西側が四条と推定されます。
現在の、羽島市中島~桑原にかけての地域に最初、鎮座していました。
天正14年旧暦6月24日(1586年8月9日)大洪水により、境川を本流としていた木曽川の流れが、現在の位置まで移動し、四条と呼ばれていた地域は美濃に変遷されることとなりました。
もともと、洪水の多い地域で、石刀社も天正14年の大洪水の前14世紀平安時代~南北朝時代ころ洪水を免れるため、この今伊勢地区に遷座しました。
岩戸古墳の上に社が建てられており南側には、古墳の法面が見ることができます。
古墳は、今伊勢古墳群に属する、車塚古墳や伊冨利部古墳の同一豪族のものと推測されます。
平安時代に中嶋神戸(今伊勢町本神戸)は伊勢神宮に領地が寄進され、遷座の時には、伊勢神宮の領地であったため石刀神社は、伊勢神宮の分社を合祀された経緯があります。
時はくだり、戦国時代末期1600年(慶長5年)、西へ向けて進軍中の徳川家康が訪れ石刀神社を参拝そのさいこの社に陣を敷いたために社殿の破損、建造物の一部が取り壊されてしまいました。
関ヶ原の戦い後の1608年(慶長13年)に徳川家康の命令により社殿は、見事に再建されました。
この再建を祝って始まったのが石刀祭りとされ毎年4月19日に山車奉納と献馬が行われます。
見どころは、献馬6頭と、大聖車(だいしょうしゃ)、中屋敷車、山之小路車(やまのしょうじしゃ)という3両の山車が同時にからくりを披露する「山車からくりと献馬奉納」。
8メートル以上もある山車は、上層にからくり演出場、中層前面に采(さい)を持った人形、下層に囃子(はやし)場があり、離れからくり(人間の手から離れて演技するからくり)になっています。
当日は、献馬6頭が西大門に出そろったあと、3両の山車が同時にからくりを始める。
14時半には、献馬が境内へ参入。
続いて山車が囃子(はやし)に合わせてゆっくり境内へ入り、15時半ごろから、大聖車・中屋敷車・山之小路車の順にからくりを奉納されます。
神社 の前に飾られた神馬には、葵紋が飾られます。
フラッと寄ったのですが、なんでも山車が出る大きな神社でした。
昔から神社を中心とした地域の関わりができていたようです。
宗教観が薄いと思われがちな日本ですが、こういう土着の文化はしっかり守られているんですね。
4月に祭りがあるそうです。
4月の石刀祭りは、山車が出たり馬が来たりで楽しいです。
名前 |
石刀神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0586-73-5221 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.jinja-net.jp/jinja-all/jsearch3all.php?jinjya=3161 |
評価 |
4.0 |
石刀祭、参拝しお神酒も三杯?頂き…祭り日和でした、参道にお馬さんお通りにてロープ持たされ🐎🎯🌸