神社の風格はこちら矢彦神社⛩️に軍配が上がると思え...
霧訪山登山口を確認に行った後で、登山口から見える平地林を見に行くと二つの神社が有りました!小野地区の鎮守の小野神社と辰野町の飛び地に有る矢彦神社です。
二つの神社は、同じ様に御柱を建てていますが、小野神社は赤松の皮を剥かずに建てて、矢彦神社は木曽山林より切り出された檜の皮を剥いて建てますので、違いが有ります。
弥彦神社の御祭神に建御名方命と八坂刀売命がいらっしゃいます。
諏訪大社の御祭神です♫御手洗水は、水質検査をした水で、引用が出来ます。
静かな心の落ち着く神社です♫
お隣りと比べるのは御法度かと思いますが、神社の風格はこちら矢彦神社⛩️に軍配が上がると思えます。
御柱と呼んだり柱と呼んだり、手水舎を御手洗と呼んだり手木舎と呼んだり、二社の違いが要所々に見られて楽しめます。
隣の小野神社とは中で繋がっていて、とても広いです。
とても静かな場所です。
ここにも御柱があるとは知りませんでした。
かつては、隣に鎮座している小野神社と一つの神社だったと言われています。
大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えて、この地に立ち寄ったと言われています。
欽明天皇年間(539年から571年頃)に創建されたと伝わっています。
諏訪大社の御柱祭の翌年に、小野神社と合同で式年御柱大祭が行われています。
坂上田村麻呂の戦勝祈願が叶い、桓武天皇の勅により御柱を建てるようになったことに始まると伝わっています。
諏訪大社の勇壮さに比べて、小野神社と矢彦神社の大祭はきらびやかな衣装が特徴だそうです。
古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されています。
国道153号線沿いの社叢に鎮座する信濃國二宮で、同じ境内の北側に小野神社が隣接していて、もとは一つだったらしいが今はそれぞれ別神社とのこと朱色の明神鳥居の先にまず目に入るのが荘厳な佇まいの神楽殿で、彫刻が彫られた扁額も立派です神楽殿の奥に勅使殿、その奥に拝殿と左右回廊があり、すべて県宝とのことです拝殿と左右回廊は、諏訪大社の幣拝殿と左右片拝殿を彷彿させるつくりで、拝殿に施された精緻な彫刻が美しいです拝殿の奥を格子から覗くことができますが、正殿、副殿、北殿、南殿と思われる社殿が一列に並んでいて、神聖な雰囲気を感じます。
大祭の前日に参拝氏子さん達が総出で準備をされているのを見て、本当に良いと思いました。
シーンとしていて、時の流れが止まったように感じられる神社⛩️でした。
参拝客、誰~もいなかったので、その雰囲気を感じながらお参りできました🍀漂う空気は厳かな感じで、神社⛩️の建物もすっごく歴史感じます。
諏訪大社のような御柱祭りもあるようで、前回のお祭りの御柱、けっこう太のがたってました。
矢彦神社社伝によりますと、大己貴命(大国主命)が国作りに勤しんでいた折、息子の事代主命・建御名方命がこの地に立ち寄りました。
そして欽明天皇年間(539年-571年?)、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀売命を副殿に祀って祭祀の形が整ったと伝えられています。
隣接する小野神社と古くは1つの神社を成していましたが、小野盆地において飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって、盆地を流れる唐沢川を境に北小野村・南小野村に分けられたことに伴い、神社境内も分割されました。
矢彦神社の祭神を祀る正殿・副殿・北殿・南殿は同一の形式・規模で、一直線上に並んでいます。
拝殿と左右の回廊は、天明2年(1782年)の造営、神楽殿は天保13年(1842年)の造営で、いずれも立川流の代表建築とされます。
勅使殿は江戸時代の造営ですが、室町時代の様式を残した建築です。
これら5棟は長野県宝に指定されています。
小野神社と同じ社叢に隣接して鎮座しておりかつては1つの神社であったと伝えるが、弥彦神社は辰野町に小野神社は塩尻市に位置し現在は別の神社であるそう。
本殿の天井絵は何だろう?辰?少しずつ違っている。
塩尻市の中に辰野町の「飛地」として「矢彦神社」があります。
御柱祭は諏訪大社の一年後「卯酉」の年に行われます。
鬱蒼とした森に「四本の樅の木」の御柱に囲まれるように社殿が立ち並んでいます。
小野は塩尻市と辰野町が隣り合う不思議な場所。
同じ町内なのになぜ二つの行政❓そして、二つの神社⛩。
ともに歴史は古く古代ヤマト政権が諏訪地域を支配下におくための橋頭堡として築かれた記述も見受けられる。
それならば一つの神社で良いものを…。
軽井沢に長野と群馬をまたがる神社もあったが実に不思議です。
同じ敷地に『小野神社』もあります。
人に薦められて来ましたが、特別な空気が有って良いです。
諏訪信仰の一角を形づくるとか。
お薦め。
厳かな雰囲気のある佇まいでした。
何かいらっしゃる気がします。
矢彦神社やひこじんじゃ長野県上伊那郡辰野町大字小野3267祭神大己貴命 (おおなむちのみこと:大国主命)事代主命 (ことしろぬしのみこと)小野盆地にありこの地は憑(頼母)の里と呼ばれ枕草子にも言及され京都の都人にもよく知られていました小野神社が隣接して鎮座していますが同じ境内のような感じです何種類にも及ぶ樹叢が有名です2021/9/16 参詣。
神社としてもとても由緒正しい場所ですが木々に囲まれとても良い場所です。
四隅にある御柱も素晴らしいです。
矢彦神社は小野神社と同格の兄弟神社といえます。
信濃の国二ノ宮で、主祭神は大己貴命おおむなちのみことと事代主命(ことしろぬしのみこと)ということなので、大己貴命と子息のうちの兄神を祀ってあるのです。
創始起源は小野神社と共通です。
諏訪に居座る洩矢神もりやかみに対峙する準備をするため、上記の三神が小野村にとどまったさいに居所を彌彦古澤に定めたことにちなんで、この神社の名前が矢彦となったようです。
伝説では、日本武尊が東征のさいにここに立ち寄り、大和王権(皇室)の崇敬を受けて勅使がたびたび派遣されたのだとか。
王権は東国への権威の拡張のためにここを重要な拠点と見なしていたのでしょう。
天武天皇の治世には奉幣使が遣わされ、勅使殿が創建し、このとき6年おきに新宮を造営しての正遷宮と御柱を祭る式年祭が定式化されたそうです。
ところで、拝殿の奥に並ぶ本殿はにぎやかなことに――正殿、副殿、南殿、北殿、明治宮と――5つもあります。
正殿には大己貴命と事代主命、副殿には建御名方命と八坂賣命、南殿には天香語山命と熟穂屋姫命、北殿には神倭磐余彦命と誉田分命、明治宮には明治天皇が祀られているそうです。
諏訪社系でありながら大和王権との強い結びつきからか、矢彦神社側の鳥居は、朱大鳥居が諏訪明神社風、国道153号を跨ぐ大鳥居と中大出口の鳥居が神明社風というように折衷様式になっています。
御柱が諏訪大社よりデカいです‼️
場所は塩尻市北小野地区のなかにありますが、地籍は辰野町。
つまり飛び地です。
神聖な空気感が伝わって来る神社でした。
同じ敷地の中に、並んで二つの神社。
南側が矢彦神社、辰野市に属しています。
北側は小野神社、塩尻市に属しています。
共に信濃国二ノ宮です。
こんな所に古の勢力争いの跡をみるとは、びっくりしました。
通りすがり程度でしたが、空気からして別格、オーラが違います!時間があればゆっくりしたかった。
御柱や初詣などお世話になってます。
この神社に来ると自然の力を感じるような気がします。
お諏訪様の足跡を辿ってみました。
子供達も含めた地元の皆様で境内をお掃除されてました。
信仰のあつさが感じられ、お社もとても立派でした。
品格のある素晴らしい神社です。
小野神社が並んであります。
舞台の彫刻が良いです。
国道153号沿い手水舎の前に僅かな駐車スペースが有ります。
ここの手水舎 ふるさとの名水20選になってるとか❕また場所が塩尻市と思いきや辰野町の飛び地なのが面白いですね(^-^)/
国道153号線と県道254号線が交わる、上伊那郡辰野町小野に有ります。
雰囲気がよい。
時の流れが止まったような神社。
参拝客は誰もいなかったけれど、漂う空気は厳かな感じ。
セミの声を聞きながら涼をとれます。
小野神社と並び立つ辰野町小野側の氏神さま、信州二ノ宮の矢彦神社です。
塩尻市北小野の中にありますが、辰野町の飛び地になっています。
素敵な神社です。
御朱印いただけませんでした。
7年に一度の御柱祭はとても楽しい。
ぜひ見に行くべきである。
日本の祭りを感じることが出来る。
名前 |
矢彦神社(信濃國二之宮) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0266-46-2064 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

小野神社と同じ敷地内に並んで立つ、こちらも信濃國二之宮。
ご祭神は、小野神社の建御名方命のお父上である大国主神と、兄上の事代主命という、国譲りに抵抗せず従ったとされる親子の神様。
もともとは1つの神社が2つに分かれたとのことですが、一方の小野神社が国譲りに抵抗した建御名方命をお祀りしていることから、領地の境界線問題以外にも何か因縁があるのかしらと想像してしまいます。