平安時代でも…縄文時代と同じ様な竪穴住居で暮らして...
平出遺跡 平安時代の村 / / .
平安時代になると屋根だけではない住居もあるのですかね。
時代毎の違いが見れて興味深かったです。
平安時代でも…縄文時代と同じ様な竪穴住居で暮らして居たのは…知らなかった…😣
遺跡...規模が小さすぎ。
平安時代の小さな住居が僅かにあるだけ。
縄文の村から200メートルほど東には平安時代の村があり、そこには一戸の家族の住居を含む家屋が復元されています。
縄文時代にはわずかに栽培もあったのかもしれませんが、食糧は採集が中心でしたから、住居は密集していましたが、農耕が中心となった平安時代には一戸の家族単位で農耕活動をしていたので、住居の周囲を耕作地が取り巻いていました。
住民たちは一戸個別に住居の敷地を営んでいたようです。
これに対して、縄文の村は集住型の集落です。
そのため、集落は散居型になったようで、住民たちは田畑の耕作を家族ないし家系単位でおこなっていたようです。
したがって、農具や種、余剰作物の保管も一戸単位となったのでしょう。
寄棟屋根の下の四方を茅など風通しのよい材料で覆った壁で取り巻く納屋は、一般住民も建造・保有できるようになっていたのでしょう。
とはいえ、富と権力が集中していた京洛とは相当に開きがあったようです。
庭をともなう住居を中心にしてその周囲に耕作地を設けています。
ということは、授民たちは高地に開拓と耕作を家族ないし家系単位でおこなっていたということです。
耕作用の農具なども家族単位で保有し、たねや余剰作物なども各戸ごとに倉庫に保管していたと見られます。
そして、耕作地があるということは、農作物ごとに種蒔きや耕作、灌漑、収穫などを季節のリズムに合わせておこなっていて、季節に合わせた行事や祭事もおこなわれるようになっていたでしょう。
次男と毎年平出遺跡のお祭りに参加してます😊子供と一緒に体験コーナーとか楽しめるので又来年も是非行きたいです!
綺麗に整備されています。
名前 |
平出遺跡 平安時代の村 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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のんびりと散策できました(^-^)