歴代の二本松藩主丹羽氏の墓所。
二本松少年隊士墓木々に囲まれた静かな、お寺の敷地内に並んでいました。
年齢が各々の墓に刻んでありましたが、今で言う中高校生の歳ばかり…こうした大きな犠牲の基に今の時代があるのかなぁ…と。
二本松少年隊のお墓があります。
御朱印は本堂入口に書き置きがおいてあり、お賽銭箱に¥300おのおの入れるシステムになってます。
日付は◯月吉日となってます。
階段を登ったところに枝垂れ桜があります。
少年隊のお墓の回りには大杉があります。
歴史を感じてほしいです。
2021.04.03地元の方が教えてくださり寄ってみました。
二本松少年隊のお墓がある所とも知らず階段を登ると満開の枝垂れ桜が咲いていました。
静かな歴史あるお寺で2本の枝垂れ桜が見事に華やいでいました。
偶然、地元の着物を着た方々がいらして撮影させていただきいい思い出になりました。
地元の方々に感謝です❗️
二本松歴代藩主丹羽公と日本松少年隊のお墓が祀られています。
家紋が珍しいⅩ印で、読み方は違い棒だそうです❗御朱印もいただきました。
二本松少年隊のお墓があるお寺二本松は会津の影に隠れてしまいます。
ようやく念願の場所に来ることができました。
大変きれいに管理されておりました。
入り口に桜の大木がありましたので次回は春に来てみたいと思います。
御朱印のお願いをしたところ飴までいただきました。
本当にありがとうございました。
以下観光連盟のホームページより。
二本松藩主であった丹羽家の初代光重公と、3代長之公~9代長富公までのお墓があります。
二本松少年隊・戦死の地でもあります。
戊辰戦争殉難者の戦死群 霊塔とともに、二本松少年隊隊長木村銃太郎、副隊長の二階堂衛守と、少年隊戦死者14人の供養塔が建立されています。
また、少年隊の墓に隣接して、戊辰戦争で戦った仙台藩と会津藩の墓もあります。
午前の早い時間帯でしたが丁寧な説明対応をして頂きました。
寺社の中など案内して頂きました。
恐らく普段拝見する事のない様な品、其れに纏わる話など聞かせて頂きました。
御朱印も頂く事が出来ました。
有難うございます。
二本松城藩主の菩提寺だと思いますが、歴史にあぐらを描いていて、寺が荒れている様に思います。
折角、二本松少年隊の墓があって参拝者が多いのでそれにあぐらをかくのでなく素敵な寺院にして欲しいのです。
昼時にも関わらず御朱印ですかとお声を掛けて頂き助かりました、優しい対応に感謝❗️
二本松藩縁の御寺さんです。
今回は二本松市内に有る名の有る桜の名木を巡っていて、此方の御寺にも立派な垂れが有る事を事前に調べておいて見学に訪れました。
桜は見事に枝葉を伸ばし美しい花を咲かせていました。
視線を伸ばした桜の花の奥。
戊辰で命を落とした少年隊隊士達の墓と供養搭。
其処に刻まれた苔むした戦死の文字と其々の墓に供えられたばかりに見える白い花一輪。
慶応の時代、二本松は戦いに破れはした物の政府軍も幕府軍も双方が命懸けで戦った結果今の世の中が有り、令和の時代へと続いています。
生まれた時代がその時代。
国を守る為だったのか、藩を守る為だったのか、家族を守る為だったのか。
忠と義を貫き通した少年隊隊士達の墓の前、思い馳せて合掌してきました。
垂れの見事な花の一輪一輪が彼等のせめてもの慰みになります様に。
我が家では、必ず御線香持参。
教科書では学べない歴史が好きです。
二本松少年隊。
彼らは、どの様な未来を生きようとしていたのか?考えてしまいます。
良かった。
二本松に来たら、必ず訪れておくべき寺院です。
14人の二本松少年兵を始め、戊辰戦争で命を落とした将兵の墓があります。
歴代の二本松藩主丹羽氏の墓所。
戊辰戦争で若くして亡くなった少年隊士のお墓もここにある。
事前に二本松少年隊の墓参りすることを告げてましたが 実際 行って御朱印を頂きたいことを話したら 半端じゃない愛想のない言い方をされ がっかりして帰って来ました。
戊辰戦争の悲劇、二本松少年隊のお墓があります。
名前 |
大隣寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0243-22-1063 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
偶然、ご住職の奥様とお孫さんが少年隊士の墓前の清掃をされていました。
見ず知らずの訪問者である者に、気持ちの良い挨拶をしていただき、なおかつ、お忙しい中、親切にも少年隊士達の墓所のご説明をしていただきました。
少年隊士の墓前にきれいなお花をお供えされており、日々日常的にご供養されておられることに驚くと共に、二本松の歴史を大切にさ れていると感じられました。