御朱印帳をお願いしたら快く受けてくれました‼️暑か...
神田山 延命院(平将門公胴塚) / / / .
将門公の胴塚で知られている延命院。
荘厳な雰囲気で身が引き締まります。
都内からは少し遠いですがまた訪れたいと思います。
見逃してしまいそうな、入っても良いのかなと思う様な場所にあります。
尚更興味がわいてきます。
大手町の首塚が有名だと思いますが、こちらも来てよかったです。
将門巡りをされている方は、ぜひ立ち寄ってください。
こちらは胴塚とされており、将門のからだが安置されているとのこと。
まわりはお墓なので静かに速やかに参拝しましょう。
(*^^*)
静かで柔らかな空気で、でも凛とした感じでとても良い所でした。
清々しく気持ちいい場所でした。
朝ふと思い立ち一人でドライブがてら行きましたが、明日2月14日は将門公の討死の日だそうでビックリでした。
御朱印は誰もいなければ社務所の玄関の棚に書き置きのモノがあります。
300円でした。
「将門史跡めぐり」のスポット。
どれが「胴塚」なのか❓歩き回ったら、やっとわかった。
「天然記念物 カヤ」の木の隣にある、「南無阿弥陀佛」と「大威徳将門明王」の碑のある所が「胴塚」である(1枚目の写真)。
お寺の境内は広く、駐車場🅿️は奥にある。
2022年2月7日(月)に坂東市の街歩きで訪れた。
案内板の内容●延命院の将門山(神田山) 平将門は、天慶三年(940)2月14日の夕、戦に敗れて本陣に 帰る途上で矢に射られて38歳 の生涯を閉じた。
首は京都に送 られたが、後に武蔵国柴崎村に 葬られた。
胴体はこの延命院境 内の一隅に埋められて将門山と 呼ばれた。
この地は相馬御厨(みくりや)の 神領なので将門山はあばかれる ことなく今に及んでいる。
昭和50年に「南無阿弥陀佛」の 碑は東京都の「将門塚保存会」からの寄贈、「大威徳将門明王」の碑は延命院住職倉持照最氏の寄進、顕彰碑は岩井市民の浄財によって建設された。
昭和57年2月 岩井市 岩井市観光協会(「岩井市」は現在、坂東市)詳細なことを知りたい方は、以下の坂東市公式ホームページより●延命院と胴塚延命院は菅生沼を臨む東側台地にあります。
広い境内を多くの桜の木が占めていて、春には見事な彩りを添えます。
将門の胴塚で知られる延命院は、真言宗智山派に属し、神田山如意輪寺延命院といい、また篠越山延命院観音寺ともいいます。
本尊は延命地蔵菩薩です。
天保6年(1835)に建てられた「延命院復興記」碑によると、開基は京都東寺の僧宗助で、中興の祖は来世法師とあります。
現存する観音堂は、関宿城主牧野成春公の助力で宝永7年(1710)に建立され、堂内の聖観音立像は伝教大師の作と伝えられています。
境内にある不動堂の裏に円墳があり、この塚を将門山、または神田山と称しています。
将門は、天慶3年(940)2月14日の合戦を迎えて、石井の北山に最後の布陣をします。
最初は風上に立って優位な戦いでしたが、急に風向きが変わり、正面から突風を受ける立場になったとき、敵の矢を受けて倒れました。
その首は藤原秀郷によって京都に送られ、東市にさらされたといわれています。
残された将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。
この地は、相馬御厨の神領だったことからあばかれることなく、今におよんでいるといわれています。
その胴塚を抱くように大きなかやの木が立っています。
また、胴塚の西側には、昭和50年に東京都大手町の将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆が建てられています。
将門の胴塚があると聞き訪問。
とても静かで穏やかな場所という印象でした。
大木の根元にひっそりと眠るように胴塚はあり、それを見守るように地蔵菩薩などが並んでいました。
来てよかったと思える場所でした。
行ったときは地元の人がお掃除をされていました。
手入れの行き届いた地元に愛されているお墓ですね。
平将門公の胴塚があります。
将門が、かつて、まさに勇躍活動した地にある、真義真言のお寺さん。
山号は神田山如意輪寺延命院、また篠越山延命院観音寺とも言うそうです。
ご本尊は延命地蔵菩薩。
「延命院復興記」碑では、開基は京都東寺の僧宗助、中興の祖は来世法師。
境内の不動堂の裏に、言われないとわかりませんが円墳があり、この塚を将門山、または神田山と言うそうです。
天慶3年(940)2月14日の合戦で、藤原秀郷・俵の藤太に打ち取られ、首は京都に送られ、残された胴体はひそかに神田山の延命院境内に葬られたという、言い伝えがあるのがこの胴塚。
相馬御厨の神領だったこの地は、ひとから隠されたがゆえに現在まで残されているとのこと。
その胴塚には大きなかやの木があり、またそのとなりに、昭和50年に将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆があります。
いにしえの伝説が事実として実感できるような雰囲気の境内。
毘沙門堂、観音堂、共同墓地が不思議な間隔で配置されております。
胴塚の摩訶不思議な状態は、筆舌に尽くしがたい。
まさに異次元。
昼なお薄暗い境内なのですが、山門の外へ目を向けると白いソバの実?の花が周囲を明るくして、こころが軽くなります。
石仏のお大師様の表情が、わたしにはいい感じです。
それと共同墓地なのですが、入り口門の門柱に、延命院 密厳浄土 と記銘があり、ひとめで気に入りました。
わたくしも、密厳浄土、で眠りたい‼️寺族の方と地域の名主的な家族の墓地は、区画が他と分けられていて、入り口には○○家、○○家、、、と札があり、分譲墓地とは一線を画しているところが、発見でしたね。
こちらに示されている○○家の苗字は、帰りの道々あちこちに見られました。
お寺さんとそれらの家々との、むかしからの強いきずなが感じられました。
丁度お彼岸時期だったので、そちらをお詣りすることはできなかったのですが、いつかは碑のひとつ一つをお見せいただきたいです。
平将門の胴体が埋められていると言われている延命院になります。
平将門が祀られている国王神社からも近いため、両方を訪れました。
書き置きのみですが、御朱印も販売しております。
毘沙門天も祀られています。
平将門の胴塚はじめて見せてもらいました😊駐車場もあり、ありがたかったです😊
御朱印帳をお願いしたら快く受けてくれました‼️😆暑かった日なのでお茶も頂き感謝です‼️
平将門さまと戦死された皆様の御冥福を心よりお祈りいたします。
森の中の小さな寺院です。
宗派は真言宗智山派となっています。
境内には平将門の胴塚があり、お祀りされています。
その他に観音堂があります。
ただ、駐車場が分かりにくいです。
駐車場の案内版がありますが、入ろうとすると普通に住宅があり入りにくい雰囲気がありますが、そこを道なりに侵入すると奥に駐車場があります。
しかし!アスファルトで整備されていることはなく、採石が撒かれただけの広場となっています。
観光地としては近所の一言主神社の方が有名です。
延命院は観光で訪れると言うより檀家の信者さんが御参りに行くようなお寺です。
平将門公の胴塚が有ります。
もう二十年以上になりますが、年に10〜15回ほど こちらの延命院と国王神社に参拝に訪れています。
将門様の胴塚を見守る様に立っている大きな榧の木や、お地蔵様に癒やされます。
お地蔵様はいつも可愛らしい帽子やベストなど着用し、地元の方が心や手を惜しまず掛けていらっしゃるのが伝わります。
人が沢山来る派手な場所ではありませんが、地元の方や将門様のファンが静かに想いを馳せる事が出来る場所だと思います。
将門は新皇を名乗る。
時の朝廷から怒りをかい、空海がもたらした不動明王への祈祷にてあらそいに負けてしまう。
将門の首は京の朝廷へ運ばれる。
この首は無念から自分の体をさがす為、京から舞い戻るも力尽きてしまう。
将門は東国の人々にとっては大事な人であり、人々は将門の体を手厚く葬りました。
この地が将門の胴塚がある延命院となります。
ここに訪れた際は、寺庭婦人様から御本尊様の御朱印をいただきました。
御朱印好き・歴史好きの方は是非訪ねて自分研きをして下さいませ。
年に一度大手町の首塚と坂東市の胴塚・国王神社を参拝😎✋するのが将門との約束😎☝️10数年前の誕生日…交通事故で痛めた頚椎神経の回復の願掛けをした😎神仏は全く効果なかった💔💔💔所詮は神仏は人間が作り上げた偶像・幻想にすぎない😎☝️首塚に触れ、胴体の場所に案内するから憑いて来てくれ😎と願い、胴塚に🚴💦して胴塚に触れて…案内はした…代わりに頚椎の神経障害を回復してほしい😎💦と願った………翌日、焼かれる様な焦燥感・電撃の様な痺れがほぼ消失😱💦💦💦その後…ありえない🚴💦で関東甲信越走破🚴を果たした👀将門も🐴で関東を駆けていた…🚴も🐴も軽車両…何処か共鳴して願いが叶ったのであろう😎✌️信念😎☝️執念😎💦怨念🔥💀🔥の三念柱で今も🚴💦💦💦💦(🚴の画像が2008年・塚の画像は2009年)ちなみに…大手町の首塚は今はステンレスとガラス⁉️のケースで囲われています👀周囲の都市開発の関連と思われる😎資材が落下⤵️して首塚に当たれば………⚡😱⚡想像を絶します😎💦💦💦※胴塚は寂れていますが……将門は罪人として処刑されたのだから当然😎しかし…史跡としての痕跡あるには意味がある‼️ある意味では首塚よりも混沌とした異空間であるが………氣を感じれない一般人には理解出来ないでしょうね……………👀
平将門の首塚は伝説的だけど、ここは本物の胴塚✨。
その胴塚に植えられた、かやの大木が歴史を感じさせるが、残念ながら参詣者が少ないようで、社殿のレベルにはちょっとガッカリ😭。
将門公の胴塚がある場所です。
首塚と胴塚の両方にお参りできました。
しかし、皇居そばと異なりあまり将門公に対する敬意を感じられませんでした。
残念です。
平将門の胴塚あり。
また上州の由良氏が弓田城(現在、ゴルフ場)の染谷氏を頼って居城とした馬洗城跡との事だが、現地には特に何の説明もありません。
平将門公由縁の地です。
名前 |
神田山 延命院(平将門公胴塚) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0297-35-0554 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
県道252号線から菅生沼方向にちょっと入った台地の縁にある将門の胴塚があるお寺さん。
標識通りに進めば北側の奥まったところに広い駐車場とトイレがある。
御堂の北側にカヤの古木が立つこんもりとした塚と石碑そしてお地蔵さんが… 訪れる人は少なくひっそりとしている。