10月15日に近い日曜日行われますので機会がありま...
鳥居の左右に銀杏の木(男木と女木)があり季節になるとギンナンが実ります。片側の銀杏の近くには、紅葉とザクロの木があります。拝殿の前にある杉の木は、2本になっています。昔は、子宝に恵まれないご夫婦が願掛けに来ていたそうです。授かった時は、産着を奉納したと聞いています。祭祀の時は、天狗1、獅子3、ササラ4(小学生の女子)で30〜40分、計5回行われます。毎年、10月15日に近い日曜日行われますので機会がありましたらお立ち寄り下さい。
村社としては良く管理されている。
小瀬戸の獅子舞が10月中頃の祭祀の時に催される。
すぐそばに新寺原という草原状の丘がありそこを通り中藤方面にも、また中藤ハイキングコースにも行ける。
新寺原からの景色は中々良い。
飯能市小瀬戸集落にある浅間神社ですが、正式名称を「子安浅間神社」と呼ぶように安産・子育てに利益がある神様との事です。
山裾の落ち込んだ地形を活かした神域となっており、下部の鳥居から社殿まで一気に参道階段を登っていきます。
浅間神社の特徴は「ご神木」が参道階段に対称にあるだけでなく、社殿前にも数本の木々が聳えています。
とは言え歴史を感じる太い幹のモノではなく、スクっと伸びた若々しい木が生えています。
またコチラには獅子舞が伝わっていて例祭時に披露されているとの事です。
県道を歩いていると「浅間神社はこの奥」という案内が。
誘われるがままに奥に歩みを進めると民家のヤギさんに会える。
ヤギに挨拶をして振りかえると見えるのがこの神社だ。
鳥居の左右に高い杉の木が立っている。
階段を登り境内に入ると、拝殿の前に4本の高い杉が立っており、とても立派だ。
社内はよく整備されている。
さらに私が訪れた4月末はちょうど山桜が咲いており、淡い色と香りと可愛らしい姿がとても雅であった。
由来はよく分からなかったが、鳥居の前からの姿がとても好きなので☆五つ。
ふと訪れた神社の中では、この景色はとても美しい部類に入ると思います。
鳥居の前で何時間でも佇んでいられると僕は思ったが、日も暮れてきたので、帰るとするか。
ありがたいです。
広い境内、拝殿は新しくきれいです。
拝殿裏の本殿は古いままのようですが、かえって良い感じです。
裏山に階段が続いていて、社が一基と左右に祠が一基づつ祀られていました。
何の神様かは不明です。
本殿造営碑によると『当社は古くから当地所在の真言宗薬浄院新福寺持ちとなっていた。
浅間社(祭神=木花之開耶姫命)て?,御本尊は赤子を抱いた観音様の御姿で、昔は子安浅間大士と呼ばれておりました。
(六條住播磨大掾貞的作の銘があり、台座には享保5年6月の文字があります)以前は浅間入り戸立岩にありましたが、たまたま明治維新の神佛分離令にあい、当地に遷座され小瀬戸村の鎮守として子安浅間神社と呼稱されるようになりました。
(以下略)』
獅子舞やってます。
名前 |
子安浅間神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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木花開耶姫命が祭神である。
内陣には像高116センチメートルの、嬰児を抱いた観音像があり、その姿から子安観音と呼ばれている。
この像は享保5年に時の名主安藤某らが伊勢参りの帰りに求めて来たものと伝えられ、「六條住播磨大掾眞的作」の銘があり、元禄期に活躍した関西の鋳物師六條住丹下播磨大掾眞的の作と推定されている。
もともと当社は、現在の鎮座地から約500メートル離れた戸立岩という所にあった浅間社又は奥の院と称する小さな社であり、近くの薬浄院新福寺が別当であったが、観音像が納められたことにより、子安浅間大菩薩として、盛んな信仰を集めるようになった。
慶応元年には戸立岩から日向山(現在地)への遷座が行われたが、これを行った名主の安藤直衛門は、川越城に出入りしていたことから神仏分離をいち早く察知し、当社を村の鎮守として、神体は人目に触れぬようにするなど、氏子と力を合わせて、観音像が没収されないように守った。
明治五年に村社となる。
その後も信仰はますます盛んになり、昭和57年10月には一間社流造りの本殿も新築された。
神社の手前に大きな御神木があり見応えがあります。
民家のヤギさんがカワイイです。