鎌倉時代から大沢家の城でした。
ホテル九重のうな重ランチに行った時に鬼瓦が置いてありました。
現在は浜名湖パルパルという遊園地になっていますが、ここは三方を湖に囲まれた要害の地であり、鎌倉時代から大沢家の城でした。
遠州大沢家といえば、古くは藤原道長を祖に持つ公家の超名門。
江戸時代には徳川幕府における式典作法を制定すると共に、最初の高家として幕府と朝廷の橋渡しをしていました(有名な高家といえば、忠臣蔵で斬られた吉良上野介の吉良家もそうです)。
また、第20代当主の大沢基寿は、徳川慶喜の大政奉還を朝廷に伝える大仕事をしました。
そんな名家の大沢家ですが、その後、ちょっとやらかしてしまいます。
明治維新当時、大沢家が治めていた堀江領の実際石高は五千石あまりでしたが、一万石と新政府に申告しました。
この結果、廃藩置県で堀江県が成立(廃藩置県では一万石以上の藩がそのまま県に移行したそうです)、大沢基寿は堀江県知事に任命されました。
しかし、地積と石高のバランスがあまりに不自然の為、調査のところ、虚偽申告であったことが判明。
その際に基寿は「浜名湖を埋め立てて開拓する予定」と嘯いたとかなんとか。
結局、基寿は禁錮のうえ爵位は剥奪。
堀江県はわずか5カ月で消滅してしまいました。
高家となる大沢家の持ち城。
堀江城の跡地にホテル九重とパルパルが建物として建っています。
案内表示板は本曲輪跡にのみ設置されています。
城址にたどり着くのは一苦労しました。
本曲輪跡は草ぼうぼうで整備されていません。
井伊直虎で有名な場所になったのですから整備すれば観光客が来ると思います。
城跡の大半はパルパルや九重の敷地になっていますが、堀江の庄に向かって行けば城跡の一部分は見る事ができます。
場所が分かりずらいわ。
名前 |
堀江城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.0 |
堀江城(ほりえじょう)は、遠江国敷知郡(現在の静岡県浜松市西区舘山寺町堀江)にあった城。
江戸時代には堀江陣屋(ほりえじんや)と称されて高家旗本大沢家の陣屋となった。
永禄12年(1569年)、大沢基胤は徳川家康に攻められ、遠江における今川方最後の拠点として激しく防戦したが、結局は和睦する形で降伏した。
基胤の子、大沢基宿は1550石を与えられ旗本になり、慶長8年(1603年)に高家となり幕末まで続いた。
だが、明治維新に乗じて不正に石直しを申告して大名になろうと画策して一旦は成功したものの、廃藩置県後に不正が発覚して処罰された(堀江藩)。