歴史が息づく山入城へ。
山入城跡の特徴
山入城跡の入り口には、わかりやすい看板が設置されています。
車でアクセスしやすく、想定図の付近まで行ける便利さです。
常陸太田市の歴史を感じられる魅力的なスポットです。
グリーンふるさとライン沿いに入り口の看板と別の石碑が並んでいる。
そこを入って数百メートル進むと、舗装されているが片側一車線程の細い道が左にある。
車でクネクネ道を登ると行き止まり。
農道がそこまでで、数メートル未舗装で草が生い茂っている。
私はそこで車を停め、帰りにUターンに苦労したが、草地を抜けるとそこから城跡までの道がコンクリートで作ってあり、縄張り図がある場所まで行け、数台停められるスペースがある。
後は歩きで右は下って本城跡。
左は登山道ぽい道を歩くと堀切や曲輪跡などを見ながら、5分ほどで頂上の物見曲輪跡に着く。
説明板と一段高くなっただ所にベンチがある。
本丸も良く整備されていましたが途中、危ない箇所がありますので注意が必要です。
佐竹宗家と対立した山入氏の居城。
西曲輪の下まで舗装路が続き、終点に駐車可能。
城跡は詰城の本郭と櫓台のみ整備。
郭、堀、土橋が確認できる。
遺構はあまりない。
山入城入り口の看板が立っているので、案内に従って行くと想定図の付近まで車で行くことが出来ます。
佐竹の乱で家中が分裂し争った佐竹氏の庶流の山入氏の城(国安城)で、竪堀や土橋などの遺構も多数残ります。
名前 |
山入城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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山入城は、1335年頃に造られ、南北朝時代に9代貞義の子師義が城主となり、その子孫が山入氐を名乗って代々居城しました。
12代義盛に子供がいなかったので、養子を迎える事になった時、山入氐を中心とした反対派と、佐竹宗家との内乱である、山入の乱が起こり、約100年に渡って続きました。
最期は、山入氏義・義盛父子は、太田城に籠城したが捕えられ、山入城も攻め落とされて、ついに山入氏は滅亡しました。
駐車場は、山入城入口の看板から舗装路を少し登ると、3台ほど停められる広場があります。
大きな車は入れませんので、ご注意ください。