明治初期に建てられた弾薬庫です。
昭和20年の空襲では、御殿の障壁画などを消失から守った。
趣の違う建物でした。
乃木倉庫という名前ですが乃木将軍とは直接関係ありません。
戦時中空襲から本丸御殿の襖絵を非難した場所として知られています。
出入口は南京錠がかけられていて中には入れませんでした。
名古屋城に関しての貴重品は戦時中ここに一時保管され戦災を免れたそうです。
明治時代初期に旧陸軍省の弾薬庫として建築されたレンガ造りの倉庫です。
非常に渋い味を出してます。
名古屋城全体をゆっくり観て回るような時には訪れてみるのも良いかと。
It is not any special, very usual old storage. If you have enough time to stay Nagoya Castle, you can visit here to feel something past atmosphere.
猫も杓子も重要文化財である西北隅櫓に脇目も振らず行くが、ちったあ脇目を振れよな。
そのすぐ近くにある乃木倉庫もなかなか重厚感があった。
被災から免れた障壁画等は重要文化財に指定されています。
明治初期に建てられた弾薬庫です。
名前はあの有名な乃木将軍に由来するものですが、別に乃木将軍が建てたわけではありません。
乃木将軍(当時はまだ将軍ではありませんが)が名古屋鎮台にいた時に建てられたので、誰言うとなく乃木倉庫と呼ばれるようになったそうです。
今でもこういうことはたまにありますよね。
かつて内部公開されたことがありましたが、また見たいです。
名古屋城が空襲で焼け落ちてもこちらの乃木倉庫にあった宝は助かりました。
明治時代に建てられ、当初は旧陸軍の弾薬庫だった。
天守閣が炎上した空襲の際、ここに保管されていた天守閣や本丸御殿の障壁画などの文化財の一部は無事に守られた。
名前 |
乃木倉庫 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-231-1700 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1024.html |
評価 |
4.1 |
☆国登録有形文化財城郭の御深井丸に似つかわしくない煉瓦造りの白亜の建物、明治初期の1880年頃に陸軍の「弾薬庫」として建造され非常に頑丈で火災にも強い、乃木倉庫あってこその名古屋城「本丸御殿」の復元⁉️☆昭和20年になり国内の空襲激化、3月以降順次、本丸御殿の襖(障壁画)を避難、5月の名古屋大空襲の戦火被災を免れ現存、障壁画1047面が国指定重要文化財に🤔☆倉庫建造などに乃木希典大将は直接関係なし、若かりし乃木希典が陸軍少佐の頃に名古屋鎮台(後の第三師団)に赴任経験あり、後の世に乃木大将由縁で『乃木倉庫』との名称😲