水戸黄門が発掘したことでも有名な古墳。
2023年3月4日に上侍塚古墳発掘調査現地説明会が行われた、下侍塚古墳とともに水戸光圀が発掘調査が行われた後、初めての発掘調査という土器や葺石が出土した、古きロマンを秘めた発掘調査、現代の科学的調査、地中レーダー探査電磁調査など研究結果が楽しみです。
大きい前方後方墳です 作られた時代や葬られた人について不明です 今発掘作業が行われています 徳川光圀が発掘しましたが埋め戻されたそうです 北側見通し距離にやや小型で形の良い下侍塚古墳があります。
なかなかの古墳です。
水戸光國公が、初めて学問的調査をした、由緒ある古墳です。
周囲を畑に囲まれている上侍塚古墳です❣️のんびり散策してみるのも良いでしょう😊後方の墳頂に徳川光圀による発掘調査の痕跡が凹みにてみられます🥷
u003d いっぱい発掘されていた u003d駐車場がないので、下侍塚古墳前の歴史民族資料館に車を止めて歩いた方がよさそうです。
2021/12/11(土)発掘調査の第1回現地説明会に行きました。
古墳・古墳周囲が以前に比べ調査のためきれいに刈り取りが行われていて墳丘がよくわかりました。
大きくて急峻です。
今回は葺き石がゴロゴロと出たことが主な成果ですが、今後もまだまだ調査は続きますので楽しみです。
最後になってしまいましたが、この上侍塚古墳と下侍塚古墳とは、あの水戸黄門様と助さんにより日本初の考古学的調査が行われたと言われる知る人ぞ知る古墳です。
国道に小さな道案内が出ており、車の方もそこから入ってください。
古墳の北東部分の道に数台分の駐車スペースがあります。
墳丘は柵で囲われていますが、ところどころ空いているので登ろうと思えば登れます。
個人的には整備されすぎていないこちらの方が好みかも。
4世紀後半の全長114㍍の前方後方墳、前方後方墳としては全国7位の大きさを誇ります。
いやはやデカイ!そのデカさを一目瞭然できる場所がなかなか無いのです。
国道からは斜めになるし北側はすぐ林になるし。
でも墳丘に登るとデカさを実感できました。
(松の落ち葉はとても滑るので気を付けて)光國公よ、貴方の功績は偉大です!下侍塚古墳より若干時代が下るので、下侍塚の王を次いで更に権力を拡大した後継王の墓所なのでしょうか?鏡も出土しています。
些細な事ですが、説明板と石碑の国史跡指定の年が違ってました。
石碑じゃ修正きかないしね。
国道から細い道に入りますが、案内板が小さいので見落し注意。
古墳手前に2~3台分の駐車スペースあり。
その駐車スペースの右手に名もなき前方後円墳?があるようですが、あれ、どう見ても古墳ですよね?
飛鳥時代の国宝の石碑を直接見られる素敵な場所でした。
説明を受けてからの参拝がおすすめ。
日本一美しい古墳と言われる下侍塚古墳の南にある、水戸黄門が発掘したことでも有名な古墳。
前方後方墳と言われる古い形態のもので、下侍塚よりかなり大きい。
がしかし、墳丘には登れないので古墳好きにとっては物足りない。
駐車スペースは近くの道路にある。
下侍塚古墳より大きいですね。
35. 上侍塚古墳 (国指定史跡)・侍塚古墳は那珂川右岸の段丘上に立地し、上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基があり、いずれも前方後方墳です。
・上侍塚古墳は栃木県内の前方後方墳では、足利市の藤本観音山(ふじもとかんのんやま)古墳に次いで第2位の大きさを誇ります。
・下侍塚古墳は上侍塚古墳の北方約800メートルの所にあります。
⁂是非、下侍塚古墳の近くにある下記の資料館を観覧してから、古墳をご覧ください。
色々は情報が得られます。
・大田原市 なす風土記の丘 湯津上資料館 ・大田原市歴史民俗資料館・所在地 大田原市湯津上・形状 :前方後方墳 ・規模全長:全長114m 規模後方:後方部長60.5m、後方部幅58.0m 後方部高11.5m 規模前方:前方部長53.5m 前方部幅52.0m 前方部高 6.5m・築造年代:5世紀前半 ・埋葬施設:粘土槨 ・出土品 :鏡・武具・土器など 粘土槨(ねんどかく)とは、古墳の墳丘の上から掘られた土坑内の粘土床上に安置された木棺を、粘土で覆って埋め戻した埋葬施設のことである。
バイクで周辺を走って滑った。
上侍塚古墳。
国指定史跡。
上侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後円墳で、那須地方に分布する6基の前方後円墳のなかでは最大規模を誇る。
本墳は、元禄5年(1692)、徳川光圀の命により小口村(那珂川町小口)の庄屋であった大金重貞らによって、下侍塚古墳とともに発掘調査されている。
北方1.5㎞で発見された那須国造碑の碑文内容と侍塚の被葬者との関連を探るため行われたもので、日本における最初の学術調査として特筆される。
鏡(捩文鏡か)・鉄鏃・石釧・小札・鉄刀片・管玉・土師器高坏などが出土したが、碑文との関連は明確にならず、遺物は絵図にとるなど調査結果を記録したうえ松坂の箱に収め、もとの位置に埋め戻した。
また調査後は、墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどを行っており、遺跡の保存に関しても、見事な処置を実施している。
古墳の築造は、出土遺物や墳形の特徴などから4世紀末頃(古墳時代前期)と考えられている。
なお、本墳のすぐ北側には、全長約48.5mの前方後円墳、上侍塚北古墳がある。
(昭和26年6月9日 国指定)大田原市教育委員会 立て看板参照。
下侍塚に比べると手入れされていない感じ。
アクセスも悪い。
名前 |
上侍塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
黄門様は何を掘り出したかったのか?