以前から近くに行くと気になっていた神社で今回初参拝...
いつも気になっていた神社。
何となく行ってみると、松田神社と書かれている。
鳥居をくぐると、目の前に奥まで続く参道の途中に鈴がぶら下がっていた、車からは気が付かないところ。
奥まで歩くと、1本の立派な杉があった。
真っ直ぐな杉の迫力に圧倒されながら、手を合わせた。
この神社の歴史は知らないが、境内を歩くと、どことなく神聖な場所にいる実感が湧いた。
地元の方に大切にされているのだろう。
立ち寄って良かったと思った。
以前から近くに行くと気になっていた神社で今回初参拝。
松田神社主祭神 大己貴命配祀神 菅原道真公 市杵嶋姫命 天照大神 大山祇命 軻遇突智命由緒神亀元年(724)から天平二十一年(749)の時期に字宮内に鎭座。
永正十八年(1521)現在地に遷宮しました。
享保五年(1720)日光二荒山神社より御分霊を勧請、両社大明神と称しました。
明治四十年(1907)不明の無格社を合祀、明治四十三年(1910)天満宮を合祀しました。
享和~文化年代(1800年頃)の記載「足利郡 正一位 両社大明神 松田 村正」(鹿沼聞書・下野神名帳)明治三十五年(1902)の記載「三和村大字松田鎭座 村社 松田神社 本社創立年月詳ならす 社域二千三百二十二坪にして境内には老樹蓊欝として繁茂し景致頗る幽雅なり」(下野神社沿革誌)伝統的神事「神迎祭(おかえり)」松田神社には「神迎祭(おかえり)」という古来からの伝統的な神事が伝えられています。
「おかえり」とは、神さまが毎年、旧暦十月の丑の日に出雲大社にお立ちになり、十一月の丑の日にお帰りになるのをお迎えする行事です。
お帰りになるのはこの社の神さまだけでは無く、全国の神様がそれぞれのお社にお帰りになるのですが、松田神社に「おかえり」の伝説行事が残されているのは、ある理由があってのことです。
伝説では、松田神社の神さまは、非常に醜い顔をしているので、人間に見られることを嫌い、もしも見た人は「三年以内に死んでしまう」という言伝えがあります。
そのために「おかえり」は必ず夜と定められています。
神さまがお帰りになる日は、神主さんが馬に乗り大前坂までお迎えにいき、近隣の板倉神社や境宮神社などの神さまと一緒にお迎えをして、順番に各神社にお送りし、最後に松田神社にお送りするのですが、松田町ではその前に、先触が太鼓をたたいて「おかえり」を知らせます。
すると人々はみな家に閉じこもりひっそりと静まりかえって、ひたすら神主さんが通り過ぎるのを待つのだそうです。
また「おかえり」の次の日を「あらみさき」といって、昔は土地の人は畑仕事や山仕事を休んだといいます。
物音がすると、出雲からお帰りになったばかりの神さまがゆっくりお休みになれないからだそうです。
もし、この日に仕事をすると、手を切ったり、足を痛めたりと言った具合にケガをするともいわれていました。
だから農家の人も、山仕事の人も、一切仕事を休み、のんびりくつろぐ習慣で、かつては「あらみさき」が一週間も続けられた時代もあったといいます。
現在では「おかえり」神事だけが残され、「あらみさき」の風習は残っていません。
(曹洞宗 端藏山宗泉寺掲示板参照)足利市重要文化財(天然記念物)「松田神社のスギ 一本」当神社はもと松田町宮内に鎮座していたのを永正年間(1504~1520)現在地に遷座しました。
その時御神木として植えられたのがこの杉です。
現在、目通り(胸高幹囲)5m、高さ約30m、根元は少し太く、また地上約20m位まで枝がなく、すらりと伸び、その上で三本に分かれています。
葉の色もあざやかで、樹勢なお旺盛です。
松田神社の御神木として長い間神社の歴史と共に生きてきました。
大きさ、形態の上からも立派なもので貴重なスギです。
(境内案内板より)
樹齢約500年、樹高約30mの杉で、足利市の重要文化財(天然記念物)で、直立した姿は立派です。
名前 |
松田神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=76143 |
評価 |
3.9 |
静かでいいところにあります。