蒲生氏郷公ファンなら一度は是非!
真田戦記蒲生氏郷と日野滋賀県蒲生郡日野町上野田 ひばり野蒲生氏郷は1556年、蒲生賢秀の三男として日野城で生まれました。
1568年、観音寺城の戦いで六角承禎が敗れると当時、六角氏重臣だった蒲生賢秀は鶴千代(氏郷)を人質に差し出して織田信長に臣従します。
永禄12年(1569年)の南伊勢大河内城の戦いにて14歳で初陣を飾ります。
元服して忠三郎賦秀とし信長の次女を娶って日野に帰国ました。
その後、同年7月の姉川の戦い、元亀2年(1571年)の第一次伊勢長島攻め、元亀4年(1573年)4月の鯰江城攻め、天正元年8月の朝倉攻めと小谷城攻め、天正2年(1574年)の第二次伊勢長島攻め、天正3年(1575年)の長篠の戦い、天正6年(1578年)からの有岡城の戦い、天正9年(1581年)の第二次天正伊賀の乱(比自山城の戦い)などに従軍して、武功を挙げ重ねています。
本能寺の変後天正10年(1582年)、信長が本能寺の変により自刃すると、氏郷は安土城にいた賢秀と連絡し、城内にいた信長の一族を保護し、賢秀と共に居城・日野城へ走って戦支度をして光秀に対して対抗姿勢を示しました。
光秀は明智光春、武田元明、京極高次らに近江の長浜、佐和山、安土の各城を攻略させ、次に日野攻囲に移る手筈でしたが、直前に山崎の戦いで敗死ます。
同年、氏郷は家督を相続します。
その後は羽柴秀吉に従います。
1584年、、小牧・長久手の戦いの後、伊勢松ヶ島12万石に加増・転封されます。
天正16年(1588年)に松坂城を築城します。
多くの日野商人が松阪に移住します。
天正18年(1590)の小田原陣の後、秀吉は氏郷を奥州の押さえとして会津黒川92万石に封じました。
文禄4年(1595年)2月7日、伏見の蒲生屋敷において、病死しました。
享年40
静かな公園です、心落ち着かすのに良い公園です(^^)
凛々しく象像が有ります。
威風堂々です😊
織田信長の娘婿で40代の若さで亡くなった戦国武将。
(石田三成の暗殺説もあり)本能寺の変のおりは信長の家族を日野城に避難させる。
後に豊臣秀吉に会津に伊達政宗の抑えとして送られた。
公園でした。
道路からでも見える蒲生氏郷公は立派ですね〜無料の駐車場あります。
戦国ファンなら◯
氏郷公ゆかりの地を巡るなら、まずココから。
この後は蒲生家菩提寺の信楽院→若松の森址→日野城(中野城)址と巡りましょう。
う~ん銅像のみで見どころが特にない。
蒲生氏郷公ファンなら一度は是非!
名前 |
蒲生氏郷公像 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
蒲生氏郷公の銅像立派です。
無料駐車場もあります。