小さなお城ですがきれいにされています。
規模の小さいお城ですが、展望台での景色は琵琶湖や伊吹山も見えて絶景でした。
観光客も少なく、もみじの紅葉も綺麗でゆっくり楽しめました。
■■■城マニア■■■ No.20(2021.10)やってきました『滋賀県、長浜城』🏯滋賀県 城めぐり旅 二軒目『織田信長公』の命により、浅井攻めで功績を上げた『豊臣秀吉公』それにより与えられた、滋賀県北部三郡に自身初めて建てたお城です。
お城を建てられた事、それはそれは嬉しかったでしょうね。
『信長公』全盛期に琵琶湖湖畔の京都までの交通網、安土城、長浜城、坂本城、大隅城の4拠点を抑えた『信長公』天下統一までのスケールの大きさに、さすがですとしか言いようがありません。
現在建っている『長浜城』は模擬天守で、唐破風は犬山城がモデルだそうです、後、当時の長浜城の材料は、徳川家時代に彦根城の築城に使われているらしいので、現存天守の彦根城に行かれた時には、長浜城の風も感じてみてはいかがでしょうか!琵琶湖湖畔の美しい所に建つ『長浜城』『豊臣秀吉公』の出世城!!!ぜひ、一度ご堪能くだされ!!※次は『京都府 伏見桃山城』行ってきます!
天正元年、姉川合戦と小谷城攻めで浅井長政死後、手柄を挙げた羽柴秀吉が支配した湖北地方(滋賀北部)。
浅井氏の領地のほとんどを与えられ、小谷城に入城するが、翌年天正二年には、琵琶湖の舟運を重視した領国経営のためか、この地に築城を始め天正五年頃完成。
地名を長浜と改め、天正十年(本能寺の変頃)まで在城したという。
現在の長浜城は昭和58年に再興され、二層の大屋根、望楼の、天正初期の天守、城郭を想定した建築。
現在は長浜市長浜城歴史博物館となっている。
秀吉が初めて一国一城の主となった城で、領国経営や、その後召し抱えた石田三成を始めとする人材活用など、その後の天下取りに繋がっていくのだと思うと興味深い展示だった。
桜満開の季節に訪れました。
桜がとてもきれいなのとすぐ後ろが琵琶湖なのも素敵です。
天守は、最上階を除きエレベーターでも上がれますので下肢障害のある方でもある程度は堪能できます。
駅からすぐなのもとても魅力です。
現在改修中でしたが、周りを散歩だけでも全然楽しめました。
戦国時代が好き、秀吉公の出世物語が好きという人にはぴったりのスポットですね。
織田信長公が浅井長政公を攻め滅ぼした際、信長公の妹である「お市の方」を場内から救い出すなど、大きな戦果を挙げられた秀吉公に旧浅井領の大半が与えられ、一国一城の主に出世しました。
その中でも交通の要所となる今浜(現在の長浜)にお城を立て、長浜と改名し、大きく発展したのが現在の長浜市です。
お城は天正三年(1575年)ごろの完成ではないかと言われていますが、どんな城だったのかなどの詳しい記録は残っていないそうです。
秀吉公の後は柴田氏、山内氏、内藤氏などが城主となりますが、羽柴氏が滅亡すると取り壊され、その資材は彦根城の建設にあてられたそうです。
現在の長浜城は、昭和58年(1983年)に地元の方々の寄付金などで建設され、内部が歴史博物館となっています。
小ぢんまり(?)としたお城、中にも入れますし天守閣からの琵琶湖は素晴らしいです。
琵琶湖が直ぐ近くにある城で遠くから見ると小さく見えますが、近くで見ると立派なお城でした。
下から見ると低いけど、天守閣に上ると周囲を一望できる。
戦国の世を想像しながら見渡すとなかなか楽しかった。
梅の花を前に綺麗な城址ですぶらぶら散歩するのはベストですね。
小さなお城ですが、絶景でした。
琵琶湖の波の音に癒されました。
周りの公園も綺麗ですね。
この季節本当に桜が綺麗でした。
2年連続で行きました。
お城上に上がると景色もいいですね。
豊臣秀吉などの出世城として有名です。
御城印もあります。
写真の御城印はホテルサンルートが販売している物です。
私はあまり歴史に詳しくないですが、信長や秀吉が好きな方は良い観光スポットだと思います。
城には歴史資料館から入ります。
入場料は大人410円。
JAF会員は割引あります。
駐車場は3時間無料ですので、見学だけなら十分ですね。
小さめな🏯御城だが近くで見ると立派な造り風⁉️外界?は35℃以上の猛暑の中でしたが、内部は冷房が効いていて快適でした😀JAF会員は大人330円でした!御城印(300円)もあります。
琵琶湖を眺められる公園で、風が気持ちよく静かな公園で観光客と市民の憩いの場になっています。
長浜城(ながはまじょう)は、滋賀県長浜市公園町の豊公園内にある羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した日本の城跡。
1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。
小谷城で使われていた資材や、1558年に火災に遭った竹生島宝厳寺の復旧資材として浅井長政が寄進した材木などを流用し築城を開始した。
その後宝厳寺に対しては秀吉の遺命として大阪城の唐門などが移築されている。
同3・4年頃完成し入城。
湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。
城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま移した。
そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。
秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。
1581(天正9年)中国遠征で、不在であった秀吉のあと、荒木村重討伐、越前一向宗制圧の功から堀秀政が、織田信長から長浜城主に任じられる。
1582年(天正10年)の本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得したのは柴田勝家であった。
勝家の甥の柴田勝豊が長浜城の守将として入城するが、同年末には勝家と対立した秀吉に攻められ、勝豊は城ごと降伏した。
1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が入り、6年間在城した。
1586年1月18日(天正13年11月29日)には天正地震により城が全壊し、一豊の一人娘である与祢らが死亡した。
1606年(慶長11年)に内藤信成・信正が城主になるが(長浜藩)、大坂の陣後の1615年(元和元年)に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になった。
資材の大半は彦根城の築城に流用された。
彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。
その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡を見ることができる。
同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。
秀吉が最初の城🏯城主長浜城!鉄筋コンクリートでエレベーターがあり!昔ながらではありません!
天気が良くて桜満開! 残念なところは駐車場にいたどこかの警備の歯の抜けたおっさん。
天守は復元コンクリート作りですが、中は資料館になっていて歴史を詳しく学べます。
このシーズン人影もまばら空気が澄みきり琵琶湖と周りの山々の雪景色に癒されますよ。
現在の城郭は復元されたものですが、琵琶湖を挟んで京都を睨む、交通の要所に建築され、秀吉の居城としても名をはせ、戦国時代には数々のドラマの舞台となった城です。
長浜城址、歴史博物館、児童公園、テニスコートなどが整備された「豊公園」として、市民の憩いの場となっています。
長浜駅から徒歩5分とアクセスも良く、休日は人出が多いとのことですが、私は真夏(8月)の平日に訪問したため、散歩をしている人もまばらな状況でした。
歴史好きの方、人気の彦根城に行くついでに、ちょっと北に足を延ばして長浜城も観られては如何でしょうか?
小さなお城ですがきれいにされています。
2017年11月訪問。
天守は1983年に復元された城ですが、豊臣秀吉公が住んでいた城で、交通の要所であったため、戦国時代において重要な場所であったようです。
天守の中は博物館になっています。
入場料は大人400円、子供200円。
駐車場は3時間まで無料。
展示品に特筆すべきモノはないですが、展望台から見える琵琶湖がとてもキレイです♪
天守閣からの眺めがきれいだった。
歴女では無いけどしらなったことを再確認できた。
太閤秀吉の最初の城持ちとなった御城は、後に地震で一部が琵琶湖へ沈み、それが保存状態の良い遺構となって発見された悠久の歴史の残照 ((o(´∀`)o))ワクワク
再建で新しい為、歴史を感じない。
しかし、人が少なく、ゆっくり楽しめる、目の前の公園には、猫がけっこういるし、人に慣れている。
最上階の展望が良いです。
展示はまぁ普通ですが、戦国時代に詳しいならまぁ楽しめるかと思います。
入場料が特別高くもなく、長浜に観光に行くならここによって、近くから竹生島行きの船が出ているので悪くないコースだと思います。
そばの公園が広く気持ち良いです。
名前 |
長浜城本丸跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0749-63-4611 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
滋賀県長浜市 長浜城築城は羽柴秀吉天守は市立長浜歴史博物館で犬山城をモデルにした模擬天守です豊公園内にあり、豊公園駐車場が使えます。
380台ほど駐車出来る大型駐車場で、3時間までは無料でつかえます。