ビリビリおっかなびっくりの場所があった。
お詣りした日:令和4年10月30日駐車場:あります御朱印:事前に電話連絡が必要です。
運が良ければ、当日の連絡でも。
私は、数回電話をかけ、日程の調整をしました。
毎年9月13日に行われる上総十二社祭の本宮になるとの事です。
境内のまわりが大きな木に囲まれ、すごく静かです。
ふさのくに御朱印めぐりの神社です。
初穂料:500円でした。
御朱印をいただく時、宮司さんとよもやま話をたっぷりいたしました。
すんなり、たどり着けない方が、たまにいらっしゃるとの事です。
すぐそばまで来ていて神社にたどり着けず、あっちこっち行ってしまうとの事です。
通りから入ると、すれ違いできない道を走ります。
私は、前回9月(当日の連絡を取れませんでした)、と今回とも対向車とすれ違うことが無くてほっとしました。
ふさのくに神社御朱印めぐりの大満願まであと1社となりました。
令和元年7月にまわりはじめ、まる3年経ちました。
神社のしおり。
もいただきました。
階段は、ちょっと急です。
メインの駐車場からは、この階段が必須になります。
スロープで境内にあがれる駐車場もあります。
こちらは、鳥居に向かって左に進み、梨園に向かうように右に回っていきます。
しばらく進み右にまがり奥に駐車場があります。
スロープもちょっと急ですが、階段が心配な方は、こちらが安全だと思います。
静かで自然に囲まれた雰囲気の良い神社境内社の琴平神社のあるエリアが神秘的な気を放っていて中心に小さな祠が鎮座していますが、写真お断りの立札があったのでお詣りのみ狛犬の顔が愛嬌あってかわいい。
★御祭神豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)火遠理尊(山幸彦)(ホオリノミコト)鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の三柱で初代神武天皇の祖母、祖父、父歴史を感じ取れる神社で上総国一宮である玉前神社の本宮という説もあるそうです。
神社迄は狭い道なので注意を、駐車場あります。
令和4年度2回目の参拝に行きました。
今回は家族で参拝しました。
周りは梨畑で道幅の狭い道なります。
駐車場はあります。
神社は少し小高い山の上にあります。
階段を昇る終わると萱の輪がありその先に本殿があります。
本殿の右側には御神木の椎の木があり凄く立派です。
夏場は蚊が多いので注意してください。
また参拝したいです。
「補陀落渡海」の僧侶たちが「西日本」から「小舟」で「九十九里浜」に上陸した後、このルートを歩いたようです。
「浜鳥居」→「神洗神社」→「玉崎神社」→「玉前神社」
わかりづらい場所にありますが、その分、神秘的です。
三本のパワースポットのラインが交差する場所にある神社で、知る人ぞ知るという神社です。
毎年元旦にお参りしてます。
尻尾が丸まった犬に近い狛犬が特徴的。
灯籠の波の彫刻や向拝彫刻が立派でした。
撮影禁止の椎の森は巨木が多く生命力に溢れていました。
999の祈りをしに皆で集まりました。
毎月9日各地で日本と世界の平和を祈って居ます。
国道から少し奥まった所にあり解りづらいかもしれませんが、女性の宮司さんがおられるようです。
神気に溢れた神社ですよ! 静かにお参りしましょう。
ビリビリおっかなびっくりの場所があった。
静かな、こじんまりとした神社、石段は少し急だけど、雰囲気のある社が佇んでいます。
特殊な空気感が漂い、琴平神社の歴史も学習出来ます。
暗がりの訪問を避け、明るい日中がオススメ。
上総十二社祭りの魅力パネェ✨
御朱印あり。
※電話での確認必須。
「ふさのくに神社御朱印めぐり」の一社。
JR外房線の太東駅から、徒歩だと25分くらい。
春分、秋分の日に太陽が通るレイラインの入り口に当たる天道の神社御祭神は豊玉毘売命・火遠理命・鵜茅葺不合命物部一族が創建した古社で、かつては、物部氏が上陸した和泉浦に鎮座していた。
安房神社・香取神宮と並んで、房総三大神社と呼ばれたこともあったという。
上総一ノ宮の玉前神社の元宮とも伝わります。
とても凛としており、地元の方に大事にされてるのが伝わる良い雰囲気の神社です、境内社の琴平神社は空気が違いここだけ別空間のような素晴らしい雰囲気です。
参拝後は何故かお腹が熱く感じました。
駐車場は鳥居に近くに2台くらい停めれそうなところがあります。
神職の方は現在でも、代々物部氏直系の神職によって受け継がれているそうです。
大自然の中にひっそりと佇み、令和元年にゆかりのある歴史的にも由緒正しき神社です。
当神社は『①天道の道』『②皇道の道』『③人の道』全ての出発点にあたると云われ、①は春分の日、秋分の日、日の光が真東から昇り富士山-元伊勢-出雲大社-日御碕神社へ一直線に進む道とされ、②は皇室に御縁のある神社・仏閣の伊勢神宮-高野山-剣山-風頭山諏訪大社へ一直線に進む道とされます。
③は、天城山-御前崎-熊野大社本宮-室戸岬-足摺岬-霧島神宮へ一直線に進む道とされ、特に霧島神宮は瓊瓊杵命(天照大神の孫で妻は木花開耶姫命)をお祭している神宮で、その子である火遠理命(山幸彦)と豊玉毘売命(玉﨑神社御祭神)が結婚され、さらにその子である鵜草葦不合命⇒豊毛沼命(神武天皇)と皇族が続きます。
新しいキレイな駐車場が完備されており、トイレもありました。
当神社境内にある琴平神社とセットで参拝しました。
幅員の狭い道を通って現れる、静かなパワースポット。
厳かな雰囲気に包まれます。
【旧岬町史より】遷座履歴 創建地 大同二年(807)に夷隅川の近く ↓ 大宮(玉前神社「いすみ市岬町椎木字大宮662」) 寛永十一年(1634) ↓ 1.中原玉崎神社「いすみ市 岬町中原字宮台3628」 2.椎木玉前神社「いすみ市 岬町椎木字村岡2172」 大宮から2社ともに宝永四年(1707)に遷座 大宮は2社の本宮であると由緒にある。
【神社由緒】境内にあった神宮寺の棟札「応仁元年(1467)八月十三日御神体を大宮玉前大明神に移し奉る」 大宮⇒中原1707年に遷座、中原⇒大宮1467年に分祀と矛盾がある。
一之宮玉前神社元宮説は、この大宮を一宮と読み替えることにあるようだ。
ご神木が立派です。
パワー頂けます。
ご朱印は丁寧に書いて下さいました。
雰囲気がすごくいいところ、参道右の社務所にて御朱印いただけました。
御朱印をお願いしたら「なんでここがわかったんですか」近所の方に聞いたことゆうと「チッ」と舌打ちされ「今ご飯中なんで」と。
最悪なおばさんに言われました。
はい、二度と行きません。
名前 |
玉﨑神社(中原) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0470-87-4752 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
当神社は物部系氏族を創建とまつり、往古夷隅川辺のまほらに鎮座し、大同二年(平城天皇御代)今より千百八十六年前大宮(現椎木内鎮座せし為地名となり)地区へ遷座されました。
然るに天正十八年(後陽成天御代関白秀吉公時)今より四百三年前兵火の災に遭ひ、よつて假宮を営み、寬永十一年(明正天皇御代三代将軍家光公時)本殿等再造営されました。
而うして後宝永四年(東山天皇御代五代将軍綱吉公時)今より二百八十六年前に至り、此の地へと再遷座されました。
中世期には社殿、中社、小社、楼閣、斎屋も列なり、猶近郷なる万木城外五城の祈願所ともなり且篤尊崇されました。
近世期迄神内あまた仕え侍ぶり、古記にも残る謂市山内郷四社に於ける元宮にして、過去国学四大人の一人篤胤翁の返留を始め遡りても諸士、諸雅、訪なひ、昭和御代迄祭礼日には、幕末三筆の一人米庵書伯揮毫す、 豪壮無比の大幟もはためきました。
秘むる史に蝉騒も椎の實も降る此のお庭、現社殿、霊神社、神興庫、社務所は氏子全ての赤誠により昭和四年に造営されました。
【現地案内板より抜粋】立派な参道、石灯籠、愛嬌感じる狛犬、立派な社殿彫刻、綺麗に保たれた境内、良い参拝が出来ました。
駐車スペースはあります。