名前 |
樹下神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.8 |
樹下神社と書いて「じゅげじんじゃ」とよむそうです。
境内には「金毘羅大権現燈籠」・「安産石」などがあります。
その由来はこの常夜灯は、銘によると天保二年(1831)、伊勢屋佐七が建立したことがわかる。
また、基礎の台座には明治二年、六年、二十三年、昭和十年の銘があり、補修を受けた経過が窺われる。
この塔は、もともと神社北側に西流する吉川の左岸にあって、川を利用した船便や、土橋を渡り、中仙道を往来する人びとの安全を祈願して建立されたが、河川の氾濫などにより崩壊した結果、当神社境内に移築されたと思われる。
また「安産石」の由来は菅原道真公大宰府に左遷され其の一族の全てが連座された延喜元年(902)の秋、仲仙道守山宿、通称どばし河の叢の平石に伏して苦しむ一女あり、里人達これを懇に介抱する今度の連座に依って流配の地に赴く途中であるが之の身、俄かに産気を催し歩行自由ならづとても身二つは覚末なしとて、亡くなり村人悲しみて丁寧に葬り、盛土をなし、祠を建て女天神塚として公称し祭祀された其の後、平石がご神体となり産婦の信仰篤く石に手を融れば難産なかりとの伝説がのこっている とのことです。