太田道灌の弟の墓、歴史を感じる巡り。
太田図書の墓の特徴
太田道灌の弟の墓がある歴史深い場所です✍️
臼井城の戦いで戦死した歴史に触れられます
周辺は薄暗いので訪問時間には注意が必要です
太田道灌の弟の墓ここにあるとは、思いませんでした✨✨臼井城の戦いの際に、戦死したとのことです!
太田図書さん。
ずしょと読み仮名が説明版に記載してあると助かるのは、私だけでしょうか。
そばのお墓も、太田さんでした。
関係あると思いますが、どうでしょうか。
臼井の史跡巡りで立ち寄らせて頂いた場所です。
林の端にあるので日中でも少し暗いです。
臼井の歴史がわかる場所です。
太田道灌の弟で、1478年に関東管領扇谷上杉方でここに攻め寄せた時に戦死したんだとか。
ここまで攻め寄せた太田図書が一旦引き上げようとした際、城方が打って出て激戦に。
それで太田図書はじめ53人が戦死したものの、城を落とすことができたんだそうです。
太田道灌の弟(甥という説もある)太田図書助資忠の墓と言われる。
文明11年(1479)千葉孝胤が籠もる臼井城を攻撃し落城させたが,その際討ち死にした。
周辺が薄暗く初めて行く方は時間をよく考えてから向かってください。
名前 |
太田図書の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
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