力石、ほんの少しだけ、上がりました!
今から三百四十年前、人皇百十一代、後西天皇の御代、徳川四代将軍家綱公の時代、此処下総の国下泉村が幕府領であった万治四年三月、当村の在、小出孫兵衛が不思議な霊夢を感じ、小板を製し、山武郡土気本郷村の如意山本寿寺十三世大僧都日静上人に直筆を請いの板曼陀羅を御本尊とし、小社 を造営したのが起こりである。
嘉永五年(一八五二)に村社となり、その後延命寺、賽泉寺の別当寺となった。
江戸中期からこの淡島様(淡島大明神)は 特に婦人病、安産、縁結びの神として信仰され、また、針供養の神事も知られ、毎年一月の縁日には遠く、船橋、検見川、稲毛、寒川、生実などの方面から多くの参詣者が訪れ賑わい、参道:には出店が軒を連ねた。
明和六年(一七六九)に造営された社殿は、嘉永六年(一八五三)に火災により焼失した。
この年の六月にはアメリカの使節ペリーが浦賀に来航している。
現在の社殿は、桜田門外の変が起こった安政七年に再建されたもので、内陣は精巧を極め、各種の御鏡などが数多く奉納されている。
【現地案内板より抜粋】参拝時、氏子さんが手水舎の清掃をされていました。
駐車スペースはあります。
小さいながらも、地域の方にとても大切にされている事が分かります。
力石、ほんの少しだけ、上がりました!
名前 |
淡島神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
考察古事記に書いてある【淡島】とは、本来、【阿波】の事で、今の徳島だと思われます。
そして、【淡道】とは、阿波へ行く道のことですから、【淡路島】のことだと思われます。
By ロックベル。