山号を瑠璃山、院号を千恕院と号し、薬師(瑠璃光)如来を御本尊とする真言宗智山派の寺院で、真里谷城主・武田三河守信興入道を開山として寛文5(1665)年に創建されたと伝わり、江戸時代中期の天明2(1782)年から天明8(1788)年に発生した『天明の大飢饉』の救済と弘法大師・空海の950年遠忌を記念する目的で、法然山釈蔵院住職・栄寛、千光院住職・宥将、光明山明光院住職・開演の3住職が開創者となり天明5(1785)年に開創された『上総国市原郡八十八ヶ所霊場』の34番札所に指定されます。
御本尊の薬師如来は行基(668~749年)の作で、真里谷城主・武田三河守信興入道が鬼門除けとして長南町野々地区より当地区へ遷座したとされます。
本堂へのスロープが非常に狭いですが、境内に駐車可能です。
名前 |
医養寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
お堂があるぐらい。