#袖ケ浦市三黒 にある #吾妻神社 。
神谷転(かみやうたた)にまつわる石碑があります。
境内の土盛りは臂松古墳でした。
#袖ケ浦市三黒 にある #吾妻神社 。
#弟橘媛 の御身が流れ着いたことから、御骸(むくろ)→ #三黒 になったと言われている。
初めて立ち寄りましたが、小ぢんまりとした神社です。
境内に古墳のようなものもあるんですけど···。
日本武尊が弟橘媛を葬った地媛を本納に運ぶ途中「身崩れ」(→「三黒」)してしまった地周囲に「姫子添(ひめこぞい)」「休所(やすみどころ)」「政所」「吾妻超」の地名あり@「阿久留王」露崎清美著。
名前 |
吾妻神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
「地形の思想史」より富津市、木更津市のほか、木更津市に隣接する袖ケ浦市の三黒 にも吾妻神社がある。
三 黒は骸が転訛したという説があり、オトタチバナ の屍がここに運ばれたという伝説が残っている。
太田山を下り、房総横断道路と呼ばれる国道409号をひた走る と、いつの間にか袖ケ浦市に入る。
木更津と君津市の上総亀山 を結ぶJR久留里線の単線非電化の線路がぴたりと寄り添って くる。
「 湾」から遠ざかるにつれ、のどかな田園地帯が広がる ようになる。
横田という集落で左折して県道145号に入り、 しばらく走ったところで三黒に達する。
目指す吾妻神社は、一面の田んぼのなか、そこだけがこんもりとした鎮守の森に囲ま れていた。
宅地化の波に吞み込まれてしまった木更津の吾妻神社 を見たばかりだったせいか、この環境はまるで数百年も変わっ ていないように思われた。
吾妻神社であることを示しているのは、鳥居の中央に掲げられた神額の「 吾妻神社」の文字だけ だ。
富津 や 木更津 の 吾妻 神社 に あっ た よう な 案内板 は いっさいない。
それどころかこの神社 には、参道や社殿 らしき ものもないのだ。
その 代わり に、古墳と おぼしき小高い丘 が あった。