延喜式神名帳の尾張國山田郡の項に記載のある式内社の...
新年のご挨拶、桜🌸の頃と時々。
お散歩で、近くの保育園児と近所の幼児、ママ達が遊びに来てました。
きれいにお掃除できているので、子供の遊び場所に良いと思いました。
延喜式神名帳の尾張國山田郡の項に記載のある式内社の論社の一社。
社伝によると、元々当社は春日井市朝宮にある朝宮神社の付近にあったが、建保六年(1218)に今の場所に遷座したといいます。
境内に隣接して朝宮山大光寺という寺院がありますが、これは当社の神宮寺で、山号のとおり、元々は春日井市朝宮にあって、神社の遷座とともに遷されました。
境内には小野道風の生誕地であることを示す石柱が立っています。
小野道風は伝承ですが、この春日井市の出身といわれています。
春日井市の中でもこの上条であるという説(南北朝時代の「麒麟抄」)と同じ庄内川流域ですぐ近くの松河戸であるという説(江戸時代の「張州府志」)があります。
和爾というと現在の天理市付近、琵琶湖西岸の神社に痕跡を残す古代氏族です。
和爾氏は元々、春日という氏族でしたが、後に和爾に変わり、その後、また春日氏という姓で出てきます。
そして和爾の血脈は春日氏、小野氏・柿本氏などに枝分かれしていきます。
古代は天皇に数多くの皇后を送り込む名門豪族で、一説には海人族といわれています。
そして奈良の春日山の山名も元は和爾氏からきているといえます。
この春日井市は一部物部氏などほかの氏族も混じっていますが、尾張氏の勢力範囲で、尾張氏もまた海人族で、おそらく和爾氏と尾張氏・海部氏は関係が深かったように思います。
この場所に和爾良神社があるのは和爾氏あるいは小野氏の進出があったからでしょう。
そして、小野道風の生誕地であるという伝承もまた和爾氏あるいは小野氏がいたことに基づくものでしょう。
春日井という地名もまた春日氏という氏族名からきている可能性があります。
上述のとおり、和爾という名は使われなくなりましたが、小野氏は春日小野と呼ばれていたこともあるので、春日という名を大切にしていたのでしょう。
当社の御祭神は阿太賀田須命(あたかたすのみこと、和邇君の祖で、和爾坐赤阪比古神社のご祭神)、建手和爾命(たけてわにのみこと、尾張氏系の建斗米命と紀氏出身の中名草姫との間の子。
尾張氏ですが和爾とついている!)となっています。
隣の大光寺にある元三大師堂厨子は市の文化財となっています。
静かな落ち着いた佇まいです。
小野道風ゆかりの神社らしい。
少々分かりにくい場所にある。
駐車場あり。
駐車場もあります。
式内社和爾良神社。
和邇氏の祖神を祀ります。
かつては庄内川が大きく蛇行し、神社の北西を流れていました。
平成30年が神社再建800年ということで、郷土の偉人で和邇氏末裔の小野道風公の御魂を滋賀県の小野道風神社よりお迎えしました。
街中の小さな神社です。
普段は常駐の方も居ないですが、公民館もありますので、結構な広さの駐車場もあります。
正月二日に行きましたが、神社の方も見えられ、神社の銘が入った御守りもあり、ご祈祷も受け付けていました。
街中の小さな神社です。
普段は常駐の方も居ないですが、公民館もありますので、結構な広さの駐車場もあります。
正月二日に行きましたが、神社の方も見えられ、神社の銘が入った御守りもあり、ご祈祷も受け付けていました。
小学生時代⛩夏休み📻ラジオ体操🤸♂️会場でした。
風格のありそうな神社です。
境内に夜泣石があります。
名前 |
和爾良神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
https://aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=d4600596-b17c-4610-ae2c-fd4b0d9b6c07 |
評価 |
3.9 |
延喜式に記載がある式内社の後えいとクチコミで書かれている方が見えるが、実は、延喜式に書かれた特定の古代の神社は複数の現代の神社が「後えい」「末」としている例が多くて、本当にそうなのかという検証は不可能に近い。
「言ったもん勝ち」っぽいところもある。
特に、この神社の場合、戦前の政治的理由も垣間見られ、神社の名称が変更された記録があったりして、断定的なことは言えない状況。
ただ、地域の「鎮守」であったことは間違いないと思われる。
江戸期までは神仏習合で、隣接する大光寺と一体で、現在も塀の位置などに名残が残る。