伊豆急行線・河津駅より徒歩7分。
仇討ちで有名な曾我兄弟の父、河津三郎祐泰が館を構えた跡地だという場所ににひっそり佇む小社。
八幡神社、とありますが祭神は天兒屋根命(あまこやねのみこと)に河津三郎祐泰とその子の河津祐成、時致兄弟を合わせ祀っています。
お社の前には、相撲の稽古に励んだ祐泰が鍛錬に用いたという力石が置かれており、その背後には力石を抱え体を鍛える河津三郎の像が建てられています。
像の碑文を揮毫したのは昭和の大横綱、双葉山。
また、参道の反対側には兄弟の像が建てられています。
さて、境内の一角には摂社として谷津秋葉神社が鎮まっています。
この秋葉社は、秋葉権現から江戸時代に勧請されたもの。
実は、江戸時代後期の天保10(1838)年に、一帯の谷津村は大火に見舞われ、村のおよそ三分の一にあたる二十四戸が焼亡するという災禍に遭いました。
村の人々は、この地を領していた遠州掛川藩主太田資始(おおたすけもと)に援助を求め、復興をはたしたといいます。
秋葉社は遠江にある火伏の神ですから、領主の縁もあってこの地に創建され、人々は再度の火災から逃れるべく篤く信仰したのでしょう。
ところで、何故同じ静岡県内とはいえ遠く離れた遠江(静岡県西部)掛川城の太田氏がこの地を領していたのでしょうか。
実は、太田氏がまだ上州(群馬県)館林に封じられていた享保13(1729)年、伊豆の賀茂郡と那賀郡に併せて七千五百石あまりの領地を与えられています。
この伊豆の飛地は、享保19年に転封となった際にいったん太田氏の手を離れるものの、元文5(1740)年にあらためて太田氏に付与されました。
時の当主、太田資俊は延享3(1746)年に館林から掛川に入部しますが、伊豆の領土はもとのままでした。
こうして、掛川藩主太田氏が豆州賀茂郡と那賀郡のうち二十九村七千五百四十一石余りを幕末に至るまで知行することとなりました。
現在の河津町の大部分は、もとの掛川藩領にあたります。
当時の谷津村は、藩の記録によると152石を産し、戸数は85戸、人口は390人ほどでした。
そのうち、24戸が火災で焼けてしまったわけですから大変な災害として村人の記憶に残ったことでしょう。
案内板には現在も信仰を集めていると紹介されていました。
曽我兄弟の仇討ちの話の像と河津二郎力石像があります。
無人の社です。
神社前のそば屋に行ったついでに参拝しました。
お賽銭箱が見当たらなかった!
“背中を後押し”してくれるパワースポットらしいです。
曽我物語で有名な曽我兄弟と、父である河津三郎が八幡神社に合祀されているようです。
曽我兄弟ファンとしては、訪れたかった場所でした。
小さい神社ですが、見所はありました。
駐車場🅿️は二、三台有り。
ただ、曽我兄弟ファン、パワーにあやかりたい人、いま一歩踏み込めないでいる人以外は、訪れる価値は限り無く低いです。
伊豆 河津御朱印巡り 河津八幡神社31.3.3三月の春雨が降るこの日、河津桜祭りを見物に来ました♩後御朱印巡りもしました!この日最初に訪れたのは、敵討ちで有名な曽我十郎 五郎兄弟とその父河津すけやすを祀っている神社⛩です。
境内にある力石を持った像がとてもインパクトがあります(^ ^)人気がなかったので御朱印対応は分かりませんでした!
伊豆急行線・河津駅より徒歩7分。
河津川に架かる赤い橋を渡った対岸に鎮座しています。
日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」の曽我兄弟と、その父・河津三郎祐泰の分霊を合祀し1161年頃に創建されています。
境内に向かい左手には 河津三郎力石右手には 曽我兄弟の像があり圧巻です。
パワー溢れる空間でどんな試練をも乗り越えるご利益をいただけるような感じがします。
社務所がないのでご朱印はいただけませんでした。
河津の歴史が詰まった神社です。
由緒考えると胸が熱くなります。
地元の人にはとても大事な所だと思いました。
相撲の決まり手“河津掛け”の考案者、この河津三郎が鍛錬に使ったとされる石が力石と呼ばれ神社にすえられています。
この石(約320キロ)、ちょっと押してみたけどビクリとも動かなかったです。
河津三郎の力石この石は河津三郎が朝夕、トレーニングをした石で重さは約320キロあります。
三郎は相撲が非常に強く、「河津掛」という四十八手の一つは三郎の考えた手と言われています、三郎は伊藤祐平泰といい狩野氏の一族で狩野の祖先は藤原南家の出身です。
今から約八百年前に、三郎の住居がこの付近にあったものです。
名前 |
河津八幡神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
054-261-9030 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4401023 |
評価 |
3.9 |
曽我兄弟の父親である河津三郎の館跡地と云われる地に河津八幡神社が建てられています。
この地から父親の伊東の地に赴いた後、非業の死を遂げます。
そこから曽我兄弟の物語が始まる訳ですので、ここが曽我物語の始まりの地とも言えます。
当地には、河津掛けで有名な相撲を取る河津三郎の像と敵討ちの曽我兄弟の像が神社の境内に並んでいます。