一柳直末の墓が祀ってありました。
💮山中城巡り時に参拝させていただきました‼️
北条家と秀吉互いの先鋒隊の武将がこの地で戦死し祀られた石碑、お墓が有る宗閑寺。
境内にブナの巨木有り。
たぶん宋閑寺なんじゃ?
山中城で戦った、北条・豊臣、両陣営の武将がまつられています。
山中城出丸の岱崎出丸の守将、玉縄衆副将の笹下城主間宮康俊の徳川家による開基の菩提寺。
山中城は戦国時代の北条全盛期の築城術を詰め込んだ様な土の城。
城兵は城代の松田康長公と間宮康俊公の合計500そこそこで、攻撃側の豊臣秀次公の兵26000を迎撃した。
間宮康俊の息女の於久は徳川家康の側室となり駿府城で姫を産んだ。
その縁で徳川家により菩提寺が開かれたが徳川家が間宮康俊公の戒名を宗覚から父信元公の宗閑と取り違えて御寺の名前にしてしまったようだ。
山中城の戦で戦死した豊臣勢の武将、一柳直末の墓が祀ってありました。
武将のお墓がある。
ili利志の墓(原文)一柳直末墓。
名前 |
宗閑寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
山中城に存在し、豊臣、後北条氏双方の戦死した武将を弔うお墓が存在します。
案内板によると左側の古い方のお墓は北条氏方のお墓で城主の松田康長、間宮康俊、多米(目)長定らのようで、右側のお墓は豊臣方で、秀吉に目をかけられていた一柳直末のお墓のようです。
天正の頃はお互いに争い血を流し合った双方が、現代ではお互いに並立し、静かに佇む姿になんとも言えない追悼の気持ちを感じました。