檀家さんも大変多いお寺さんです。
蓮如さんが滞在していたお寺だそうで、次回は秘仏公開の時に行ってみたいです。
本福寺第三世法住は蓮如上人をお助けくださったかた比叡山から攻撃された上人や親鸞聖人の祖像の疎開などにご尽力くださいました更に延暦寺が堅田にまで攻撃の手をのばしてきた時は、蓮如上人を舟に乗せ追ってから逃げたそうです法住さまや堅田のご門徒さまに感謝です報恩講は秋の彼岸の時に重ねて行われているようでした。
檀家さんも大変多いお寺さんです。
お寺さんが幼稚園を運営されていて人気あり。
従兄弟の孫娘が幼稚園に通っています。
正和年間に野洲郡御上神社の神職善道が覚如の門人となり開創。
〔宝井其角寓居之跡〕は本福寺の東側の道に立つ碑。
其角の句の一つに〔帆かけ舟あれや堅田の冬景色〕がある。
この場所については、大津市の説明がある。
実際は其角の父親の住居の跡のようだ:-蕉門十哲の一人の宝井其角の父は堅田の出身で、後に江戸に出て医者になりました。
其角はときおり堅田にきて其角邸を本拠にして、本福寺の千那達と親交を重ねました。
本福寺の隣に其角邸跡が残っています。
Takarai Kikaku (1661–1707), also known as Enomoto Kikaku, was a haiku poet of the Edo Period and one of the 10 most accomplished disciples of Basho. His father was an Edo doctor and was born here. Kikaku often visited the next-door temple, Honpukuji, and stayed at this house.〔三翁碑〕には、芭蕉翁・千那翁・角上翁 芭蕉翁五十回忌「病雁の夜寒となりて旅寝かな」と刻まれているようだ。
芭蕉は膳所で月見の会を催し、その後舟で本福寺を訪れ、風邪をひいてしまい、寺に10日間ほど滞在せざるを得なかった。
名前 |
本福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
077-572-0044 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
大昔ですが ここの幼稚園の卒園生です 火事で焼ける前の本堂で お昼寝したのを覚えています 子供だったからか 今よりもっと広く感じていました 今も明るく歴史を感じさせるお寺です。