名前 |
旧山口電信局舎 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
国指定登録有形文化財です。
この建物は、明治6年(1873年)東京⇄長崎間の電信線を架設した時に建てられました。
木造2階建ての洋風の外観ですが、日本の伝統的な建築技術によって建築されており「擬洋風建築」と呼ばれています。
明治10年(1877年)西南戦争の時の交信記録が残っています。
明治22年(1889年)山口郵便局と合併して、山口郵便電信局となり新庁舎に移転しました。
長州藩士「楢﨑頼三」に養育された、会津白虎隊の生き残りの少年「飯沼貞吉」が逓信省技師となって明治7年(1874年)ごろの1年間、山口電信局に勤務していたそうです。