一言だけ祈る時、必ず霊験を授かるとあがめられていま...
真っ直ぐに延びた石段を登ると礼拝所があります。
本殿は無く、後ろの山が御神体となっています。
願いは一言だけ、誰にも言ってはいけまぜん。
お詣りすると、パワーがおりてくるのか?身体がファーッと軽くなる感じがして、願いが叶う。
明通寺の拝観後に来ました。
無人で、御朱印ないです。
山が神様とのことですがよく見るとコンクリートの壁が、見えました。
神聖な感じがします。
初詣の時は人でいっぱいです。
【2016.01訪問】若狭出張の時は必ず参拝させていただいております。
人の願い事の中で一番大切な事を、一言だけ祈る時、必ず霊験を授かるとあがめられています。
山全体を大神とし、そのため千有余年社殿を創建していません。
古事記712年、日本書記720年にこの大神の考証があるそうです。
御朱印はありません。
仕事で近くを通行中に前から気になってた表示❕今日伺いました。
社殿の無いのが特徴とスレで確認してましたが( ̄□ ̄;)!!百聞は一見に如かず。
ぜひ....珍しい光景だと思いますよ。
前に読んだ本に一言主の神は役の行者に絡められ取られ葛城の山中に縛られたまま今もおいでだと😅如何なものでしょうかね☺
日本一お金持ちの斎藤ひとりさんも来られている神社です。
雰囲気は抜群に幻想的で、地元の方々も参拝に来られていました。
ここは本殿がありません。
理由は神様:私は宮祠を好まない。
もし、あなたが建てたければ山全体を覆うような宮祠を建ててほしい。
村人:それはかなわぬこと。
では宮祠の無い山全体をご神体とし正面に玉垣を設けましょう。
したがって、参拝時は山に意識を集中して一言だけお願いをされてはいかがでしょうか?
通りすがりにどんな所か寄って見ましたが、思った以上に奥行きもあり、立派な神社でした。
奥行きがあるため雰囲気のある神社だった昔から村の人が大事に管理してきた感がある。
2019 9 29本日、泉岡一言神社にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
小浜駅でレンタルサイクルを借りて、乗って来ました。
国道27号線を新平野駅の手前の道を左に曲がりました。
長い下りの坂道です。
遠くまで田畑が広がります。
今日は、快晴です。
手前の田畑が綺麗です。
遠くの山々も綺麗です。
素晴らしいサイクリングですね🎵泉岡一言神社が近くなると、コスモスが沢山咲いております。
キバナコスモスが沢山あって、今が盛りです❗とても綺麗です🎵今日の泉岡一言神社には、参拝者がおりません。
遠くからの鳥の鳴き声だけです。
泉岡一言神社では、山全体がご本尊ですか❗シンプルな拝殿がチョー魅力的です🎵今日の幸せを感謝して参拝させて頂きました。
「すべての事柄を物質的なもので表現するなんて誤りだね」なんて思いながら泉岡一言神社の階段を降りて行くと、僕の左の背後から蝶がやって来て「そうだよ🎵」と言いサッーと右の方へ飛び去りました。
今日も良い日になりました♥️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️「祠を作らないように」という一言主命の言葉通り、若狭町の一言神社は全国でも珍しい、“祠のない神社”。
心清らかに誰にも言わずに一つだけ願い事をすれば叶うといわれています。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️創立の年月不詳。
社伝によれば、「大和国葛城に鎮座する神を奉祀した」という。
鎌倉時代の文永二年(1265)『若狭国総田帖』に「泉岡一言宮壹反・・・」と記され、『若狭国神階記』には「正五位泉岡一言神社、正月初午日、八月朔日に祀り能楽を催せり。
」とある。
また寛延年間(1748~1751)の社記に「創建由緒知不申候」、縁起書には「盤境を以って宮となす。
神告げていわく、吾れ宮祠を好まず、しいて影光を止めおくなら、野嶽をもって社とせよ。
」とある。
郷民神意にそって社殿を建てなかった。
また「神の使者として青毛の馬あり」ということから、昔より馬を養ったことがない。
口伝では「往昔一言大神が青馬に乗り給い、今の社地に降座された時、里人が此の所に宮殿を造営致しましょうと伺った時、吾は宮祠を好まず」といわれたという。
古事記下巻の雄略天皇の項に、葛城山狩場での天皇と大神の問答に「・・・私は悪事も善事も一言で決めてしまう言離の神で、葛城の一言主之大神である」といわれた。
天皇はおそれかしこみ太刀や弓矢を献上したと記されている。
また『日本書紀』(720)の雄略天皇の条には、「一言大神は大和葛城山より影向の霊神として、山嶽・樹林を馳せ廻り、その神馳は無相で正邪に激烈な神である。
人の道にかなっているなら、念ずるところを一言で「善し」といい願事を守り恵み給う」と記されている。
『神社明細帳』に、社殿「即今無之」。
境内「六百六坪官有地第一種 外千二百十二坪 三十八年一月十一日境内地編入許可」とでている。
最近は、毎月一日の月並祭や正月二日の祈祷初詣には、遠近からの氏子・崇敬者の参拝者が多い。
いつから祀られているのか?どのような由来があるのか?詳細は不明。
県道24号を走っていると、いかにも神南備山と呼ぶにふさわしい姿のよい山があり、道路標識にも「一言神社」とあがっているほどだから、地域からは崇敬されているのだろう。
この神社は、一言主大神が「私は社に住むことを好まない」と言われ、本殿や拝殿がない。
なにやら、一言主さまらしい気がせぬでもない。
葛木から来られたのなら、鴨(加茂・賀茂)社や火雷社も付近にあるのでは?と思い調べてみた。
小浜の加茂社は来歴から、無関係と思われる。
では若狭の一言主神社4社の由来は?社殿がなく、神(甘)南備山や磐座を祀るのが、日本の古神道の自然な姿だとすれば、奈良・檜原神社同様、また、ここも。
拝殿も本殿も無い珍しい神社です。
宮司は常駐していない様ですが清掃は行き届いている印象を受けました。
今年の3月頃道を訪ねて行きました❗ストリートビューで有る様に、手前の竹中酒店で場所を確かめ出岡一言神社に着き四方を小さな川に囲まれていました❗上り坂の階段の上に本殿社が有ります❗静かで樹齢何百年の杉も立派でした❗
名前 |
泉岡一言神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0770-57-1192 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160120_102156 |
評価 |
4.4 |
若狭巡礼中に看板がたっていたので興味が沸いて行ってみました。
社が立っておらず(全国的に有名らしい)黒い石を置いて心を清らかにして願い事をかければ一つだけ願い事を叶えてくれるそうでございます。
一言主は葛城にも祀られておりますがここでも祀られているとは思いませんでした。