名前 |
御薗宇城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
室町時代に安芸国の守護となった山名満氏は、平賀氏を含む安芸国人衆と対立し、応永11年(1404)十代平賀弘章の御薗宇城を攻め囲み、合戦は3年にわたる長期戦となりました。
その間、弘章の子共益・惟益・惟元らは討死にしましたが、他の安芸国人衆の応援により持ちこたえて、山名氏を退けることができました。
戦国時代になり、十五代平賀弘保が文亀3年(1503)に白山城を築いて新たな居城とするまでの、約200年間、御薗宇城は平賀氏の本拠地となっていました。
城跡は防御と居住を兼ねた館城で、南に延びた低丘陵を切断し、3段の平坦な郭と、それを三方から馬蹄状に囲む土塁状の郭からなっています。
この付近には「馬場」や「番匠免」、「トギ」、「カヂヤ」などの地名や、明道寺跡や円福寺跡などの寺跡があり、御薗宇城跡を中心にして中世の面影を残しています。
御薗宇城跡は鎌倉時代の城郭の特徴を今に伝える貴重な城跡です。