朝比奈泰煕に命じて小城として築城した。
名称 正宗寺のスギ (しょうじゅうじのすぎ)名称の典拠 現地の案内板(注1)樹種 スギ樹高 38m(注2)目通り幹囲 5.4m(注2)推定樹齢 300年以上(注2)所在地の地名 愛知県豊橋市嵩山町(すせちょう)字上角庵(かみかくあん)〃 3次メッシュコード 5237-13-68〃 緯度・経度 北緯34度48分23.3秒東経137度28分24.0秒天然記念物指定 なし撮影年月日 2017年12月10日注1)「とよはしの巨木・名木100選」に選ばれたことを示す案内板。
豊橋市が設置(設置年月不詳)注2)上記案内板による静岡県との県境、国道362号本坂(ほんざか)トンネルの愛知県側が豊橋市嵩山町(すせちょう)である。
臨済宗妙心寺派嵩山正宗寺は、嵩山小学校の北の谷を奥に入ったところ。
広い境内を持つ名刹である。
幅の広い、落ち着いた雰囲気の参道を進んで行くと、突き当たりに唐門があり、その手前、石垣を積んだ土塀の横に、左図の大杉が立っていた。
いわゆるオモテスギのタイプで、凜と直立している。
やや緑色を帯びた幹が、若いスギたちと異なる雰囲気を醸していた。
訪ねたのは日曜の10時頃。
肌寒くはあったが、天気は薄曇りで、雨の心配もない。
参道のモミジも色づいて、もっとたくさんの人を想像していたのだが、何故か人影は殆どなかった。
おかげで、静かな雰囲気で大杉を取り巻く風景を堪能できたが…。
山門から唐門までの参道はすごく雰囲気があります。
祖父が若い頃(明治、大正にかけて)、この境内で勉強していたそうだ。
奥深い環境にあり、物静か、観光地化されておらず、素敵な場所です。
自分のルーツをたどる旅で横浜から母と訪れました。
豊橋市にある真言宗のお寺。
静岡県境にほど近い国道362号を北に行くと山門が見えてきます。
襖絵等の文化財を多数保管しています。
大変静寂な地にあり、夏の若葉、秋の紅葉も楽しめます。
お寺の荘厳な雰囲気は素晴らしいと思います。
沙羅双樹の花が咲いている。
令和2年度前半のNHK朝ドラのロケ地の一つですね。
他県から来る人がいるのは謎ですが年越しジャンプをするにはちょうどいい場所です。
森の中に佇む雰囲気いいお寺です。
門を通るやいなやアラームがなります。
事情は理解できますが何とかなりませんか…
山の中に佇む趣のある古刹ですが、アラームの音が少々気になります。
文化財や庭をもう少し開放して欲しいです。
紅葉は大変良かっです。
嵩山の地名の由来となった古い歴史を持ち、鎌倉時代の永仁年間(1293年~1299年)に宋から渡ってきた日顔禅師により創建されたと伝えられている。
境内には、鐘楼・本堂・客殿・庫裏が建ち、建坪600坪に及ぶ東三河でも指折りの巨刹で、文化財として長澤蘆雪、狩野元信、狩野正信、円山応挙などの絵画を所蔵。
戦国時代の駿河今川家家臣が多く埋葬された寺。
除夜の鐘が趣があっておすすめだ。
およそ23:30から突き始めるのであまり早く行けない。
混むのは紅白歌合戦が終わってからであり、混んでも30人ほどだ。
駐車場は満車になることはまれだがそれほど多くはない。
駐車場から寺の内部までは正面の砂利道と西側の舗装路があるが100メートルくらいで坂道で車いすには向かない。
夜は坂道はかなり暗い。
住宅があるエリアから駐車場までも夜はかなり暗いが、代わりに星空はプラネタリウム並みなので是非体験してほしい。
また、108回で終わることなく来た人は全員突ける。
さらに誰でも甘酒が紙コップで無料で振る舞われる。
ただしドコモでさえ圏外になってしまう。
駿河の守護大名今川義忠が、朝比奈泰煕に命じて小城として築城した。
嵩山城と呼ばれた二層天守桶狭間の合戦の後、今川家は、武田信玄と徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、徳川家康の手に落ちた。
その後、家康が関東に移ると、山内一豊が入城した。
山内一豊が掛川城を大きく拡張した。
関ヶ原後、山内一豊は土佐に移り、江戸期には多くの譜代大名が入った。
廃城した跡を寺として作り替えられて現在に至るなどで坊ヶ峰合戦で亡くなった今川家家臣を昔から供養してる寺らしい※元か寺で城になり廃城後に寺に戻された嵩山(すせ)の地名の由来となった古い歴史を持ち鎌倉時代の永仁年間(1293年~1299年)に宋から渡ってきた日顔禅師により創建されたと伝えられています。
境内には、鐘楼・本堂・客殿・庫裏が建ち、建坪600坪に及ぶ東三河でも指折りの巨刹で、文化財として長澤蘆雪、狩野元信、狩野正信、円山応挙などの絵画を所蔵しています。
名前 |
正宗寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0532-88-0507 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
徳川家康の側室お愛の方の実家菩提寺です。
徳川家とのつながりの深さを示す葵御紋がいたるところにあり、歴史の深さを物語ります。
嵩山という地名はこの寺の開祖の宋国の故郷に似ているのでつけたそうですよ。