天方城の御城印が有ると聞き訪ねました。
周辺に天方城以外にもあることを教えてもらった。
ご本尊のお参りをさせて頂きました横の間に八方睨みの虎の絵が有りますご丁寧に対応頂きました。
山門をくぐると左手に鐘楼堂があります。
桧(だと思う)の総作りです。
総作りの鐘楼堂は、はじめて見ました。
本堂の中(中央)には、近年修復が終わり大きくきれいで豪華な欄間があります。
奥様が色々説明してくれました。
本堂の左手側には観音堂があるのですが、入り口と奥に組子(麻の葉)の細かい建具がありますが、奥(突き当たり)にある障子の組子が細く美しいです。
奥様より、お茶とお菓子をいただき先の欄間の修復記録や森町の今、昔などの書類を見させていただき森町をより知ることが出来ました。
ありがとうございました。
書き置きでしたが御朱印をいただきました。
相田みつをさんのポストカードなどの書類もいただけます。
欄間は一見の価値がありますよ。
ありがとうございました。
天方城の城主のお墓があります、徳川家に仕えて長男信康を命により自害、首を落としたので歴史に残ります。
悲運の武将。
由緒ある お寺様です ここのご住職は お経を決しててを抜かない ありがたい方です。
アクティ森から、太田川沿いを下って行く途中の山の頂きに、りっぱな山門と本堂が見えてきます。
松厳山(ショウガンザン)、蔵雲院(ゾウウンイン)です。
曹洞宗の寺院で、正保4年(1647年)に、天方郷の18代地頭山内山城守が、祟信寺(森町飯田3052にある寺院)の5代住職の助吟和尚を請じて開山したと伝えられています。
本尊は虚空蔵菩薩。
観音堂があります。
景色の良いところです。
本堂西奥には、天方三代の墓が残っていました。
天方氏は周智郡天方郷から起こり、もとは藤原秀郷の後裔首藤氏の一族。
代々鎌倉御家人で、鎌倉以降に遠江天方城に住して、天方の地名を家名としました。
今川氏に属しましたが、桶狭間の後今川衰退にあたり、徳川方に仕え、石川数正や大久保忠世に属し、戦功を挙げて行きます。
天方通綱は二俣城で、信長に謀反の嫌疑を受けた家康の長男の信康の切腹の介錯をしています。
その後、家康の次男結城秀康に仕えます。
天方通綱は鞍、鎧づくりに優れ、作品は彦根の井伊家に伝わっています。
天方氏のお墓あり!
家康の長男信康が切腹した時に介錯した天方氏の菩提寺である。
一見の価値あり。
名前 |
蔵雲院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0538-85-2236 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
天方城の御城印が有ると聞き訪ねました。
天方山城守通網は天正7年、二俣城で自刃した徳川信康の介錯をした事で知られる方です。