アサギマダラ乱舞、一度是非お越しあれ。
独特のかたちの建物です。
建物を正面に見て右側にケヤキがあるのですがとても高さがあります。
梅の木にメジロがいました。
イチョウやヒバもありますよ。
モズにも遭遇。
一眼レフでの撮影に成功しました。
説明書きよりーーー倉真まちづくり 報徳神社と書籍蔵報徳神社建立と岡田文庫の書籍蔵について昭和三十七年(一九六二)岡田家は管理上の理由と推譲の気持ちから、二百七十年の伝統と由緒ある家屋を御殿場の宗教法人「自然真道」に移築することになり、その屋敷跡地一〇八九坪と岡田文庫の書籍蔵一棟を大日本報徳社に寄贈されました。
それらの岡田文庫の書籍文献筆墨類は、いずれも貴重なもので、本社にある淡山翁記念報徳図書館に永久保存し研究資料として活用されています。
広い屋敷跡地をいかに活用すべきか、いろいろ意見も寄せられましたが結局、掛川は大日本報徳社の本社所在地でもあり、その創立者たる同家屋敷跡には、始祖二宮尊徳の霊を祭る報徳神社を建立することがふさわしく、報徳社徒多年の悲願に応えるべく「報徳神社建立」を決定しました。
ご祭神は、二宮尊徳先生の分霊を小田原報徳二宮神社から遷座奉戴するとともに、岡田佐平治(無息軒)・岡田良一郎(淡山)の二霊を合祀することによって建立の意義を深めることとし、神社の名称も「報徳神社」とすることにしました。
昭和四十年(一九六五)七月二十二日、神社建立起工式が執行され、翌昭和四十一年六月二十五日、「根元造り」の近代的な社殿が完成し、報徳神社鎮座祭が執行されたのです。
報徳の信念をかため、その振興に精進する心の拠り所として、毎年秋に例祭を斎行しています。
倉真地区まちづくり委員会。
富の偏在を道徳にすりかえた後退的報徳思想の象徴。
荒れています。
寂れた神社。
かつてここに岡田良一郎の自宅があり、大臣や東大教授を輩出した冀北学舎(建物は大日本報徳社の敷地内に移設保存)があった。
遠州地方の知の中心でもあった。
岡田良一郎は二宮尊徳の弟子。
なじみの薄い名前であるが、信用金庫の創設者と聞けば史学が好きな人はピンとくるかもしれない。
ただ境内に案内文等は何もなく草木が生い茂るだけである。
本来、歴史とはこのようなものかもしれない。
名前 |
報徳神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
アサギマダラ乱舞、一度是非お越しあれ。