まだ、木の香りがただよう真新しい本堂。
法泉寺と関山氏(清水中世史研究所の記事より参照)由井郷にも北条氏綱の家臣の関山弥五郎重顯や関山土佐昌清(宝泉庵文亀三年三月開基)が活動していた。
相模原市当麻の地にあった当麻の関所の虎の印判状に関山弥五郎重顯の名がみえる。
「 しほ荷弐駄の分、一ヶ月の中、此の如くとほすべき ものなり。
これは家内のつかひ用の義なり。
よってく だんのごとし。
天文五 丙申 八月廿日 関山弥五郎とのへ 」 関山氏は相模国東郡当麻郷の地侍。
伊予国関山の出身になる河野氏の一族とつたえ河野通明の次男福良通豊の七男関山民部丞通安は通明の嫡宗と伝える。
一遍上人に従って相模国当麻に時宗の無量光寺を開くと土着した。
子孫は伊勢宗瑞の時から仕え飛脚役を世襲して務め、当麻宿の宿場管理と当麻関所の支配を任されていた。
永禄四年(1561)と推定されている、武田信玄が甲斐郡内領上野原の領主加藤丹後守に送った書状に「(上略)然者氏康由井在陣、敵味方之間隔三十里之様(下略)」(諸州古文書甲州一)とある。
氏康の由井在陣を可能にしたのは、由井郷の関山氏によるものであろう。
倉員保海氏は「八王子上案下の熊野宮旧蹟について」(『多摩のあゆみ』第二七号)の中で「……老人伝言に、往時一の鳥居が神戸に在りて之を掌る、神主と伝える者も亦附近に在りしと……」と述べている。
『新編武蔵風土記稿』に次のようにある。
安下熊野宮之禰宜役并二百文屋敷於末代不可 有相違者也 仍如件 同高茶野丁 天文廿壱年八月十九日 花押 禰宜彦次郎 関山氏の居住地は現在八王子市弐分方町の弐分方運動児童遊園の辺にあった。
近くには旧家、菅沼家や由井氏の館跡とされる、報恩寺跡があり、由比牧の中心地があった。
目黒掃部助の居住地もこの辺りであったのであろう。
年季を感じる門をくぐると、まだ、木の香りがただよう真新しい本堂。
地域住民の長年の努力で建設されたそうな。
そこらの成金寺院とは大違いです。
名前 |
法泉寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-651-5022 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
先日、母の四十九日法要を行いました。
読み上げるお経について一つ一つの説明があり親族一同から良いお弔いだったと感想を頂きました。