僅か600石の小身旗本から5万7千石の老中まで出世...
📕#相良城🏯 📕さがら静岡県牧之原市相良 にある田沼意次の居城。
平安末期に藤原周頼(かねより)が相良庄の支配者となって『相良氏』を称して82年間続いた。
相良氏は鎌倉時代初期に、熊本県球磨郡多良木に移り、江戸時代は人吉藩主として続く家柄となった。
1571-1582年にかけて、徳川武田の攻防が続く中、片浜の滝堺城 初期相良城が武田氏により築かれた。
家康は、武田の相良城を改修して、相良御殿と称し、別荘とした🏯江戸中期、600石から57000石まで出世した老中(側用人兼任)田沼意次が12年かけて築城した。
その本丸跡に牧之原市史料館が建ち、大人220円(18才未満は110円・月曜休)で入館できます。
冷房はありませんが、うちわが置いてあります。
ここに、相良城があったよ、といった感じでしょうか。
土塁は、小学校の門と接続されています。
相良城の御城印は、牧之原市史料館の入館料220円を払うともらえます。
日本史でだいたい皆さん一度は目にしたであろう田沼意次ゆかりの城跡。
資料館で御城印買えますが、ガチャガチャみたいでちょっとビックリします。
僅か600石の小身旗本から5万7千石の老中まで出世した江戸時代随一の出世人・田沼意次侯の居城跡です。
当時最新の北条流築城術により縄張りされた絢爛豪華な平城でしたが、政敵の松平定信によって徹底的に破壊されてしまいました。
今残っているのは2丸の土塁のみです。
しかし、一筋の土塁の上の松が田沼意次侯という日本史上でも類い希な人物の栄枯盛衰を感じさせてくれて、これもまた一興です。
相良城址は、白河松平氏に依って地上から姿を消し去られたお城です❗地表を掘り進めれば遺構にあたります‼️然し中学校のグランドは、本丸辺りで城破局後数回土砂が移し変えられているため遺構は、発見性は、少ない?
城跡は学校、市庁舎、史料館などになっていてわずかな遺構が残るのみ。
江戸幕府老中、田沼意次が築城し、失脚すると破城された城。
近世相良城以前には相良氏の館や古城があり、破城後には陣屋が置かれていた。
遺構は仙台河岸の石垣や二ノ丸土塁跡が僅かに残るのみ。
お城なんですが、相良藩庁のお城跡です。
現在は役場と学校になっています。
小学校校門の土塁と松他にはあまり遺構は残っていない藤枝の大慶寺に御殿が移築されているとのこと。
城自体の遺構はほとんど残っていませんが、資料館には多くの資料が展示されています。
あの田沼氏が城主を務めた城、地元では名君として慕われています。
田沼意次が城主だったそうです。
名前 |
相良城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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城趾としての見どころは素人にはほとんど無いが、資料館「刀だんす」は初めて見た。
刀のしまい方も知りたかった。