倉庫の遺跡、立て看板で説明しています。
柱の跡に建てられた多くの石柱が、ここに大規模な建物があった事を物語っていて、古代のロマンに浸れます。
遊具などは何もなく、杭があるので球技はできません。
子供の遊び場としては退屈かもしれません。
人が少なく静かで広々としているので、大人が散歩するには最適です。
小郡官衙遺跡は、西鉄小郡駅の北500mの線路沿いの閑静な住宅街にある遺跡です。
宝満川の西側の台地に広がり、7世紀後半から8世紀後半にかけての3つの時期にいたる複合遺跡で、昭和42~45 年に最初の調査が行われ発見され、昭和46年に国指定史跡となりました。
そのうち奈良時代に相当する堀立柱建物群は「筑後国御原郡の郡衙跡(郡役所)」と推定されています。
建物跡はコの字形に配置されていて、政務を行う「郡政庁」を中心とし、その北側には納税品(米など)を納める「正倉」にあたる総柱建物群が、西側には役人の宿や接待所にあたる「舘」が整然と並んでいます。
7世紀中頃には初期評衙と考えられる上岩田遺跡が出現しましたが、『日本書紀』天武7年条にある「筑紫国地震」で倒壊したと考えられ、官衙の機能は小郡官衙遺跡へ移されました。
なお官衙機能は、8世紀中頃にさらに下高橋官衙遺跡へと変遷しました。
7月下旬には小郡祇園神社夏祭りの子どもたちの神輿や太鼓のパレードが通り、8月中旬には地域の夏祭りも行われます。
素晴らしい公園です。
広くなる計画あり楽しみですよ!
自宅の近所で清掃されて、広々していて気持ち良い遺跡です。
子どもと行くには特に何もないところですが、秋には落ち葉拾いをしたり、横を西鉄が通るので子どもはとても喜びます。
お散歩にはちょうどいいです。
トイレも綺麗です。
トイレの建物を登ると小さな展望台になっていて官衙遺跡を上から眺めることができます。
野球がしやすい❗
倉庫の遺跡、立て看板で説明しています。
国指定史跡 小郡官衙(かんが)遺跡は、正式な名称を小郡官衙遺跡群 小郡官衙遺跡と言います。
所在地は、小郡市小郡にあり、小郡駅を福岡方向に出てすぐに電車の中から公園が見えます。
遺跡が発見されたのは、昭和42(1967)年で、発掘調査によって貴重な遺跡であることがわかり、昭和46(1971)年国指定史跡になりました。
現在指定されている部分の面積は、28400㎡ですが、遺跡全体は、51300㎡になることが推測されます。
最初に指定が行われた部分の17600㎡が現在遺跡公園として整備されています。
小郡官衙遺跡は、今からおよそ1300年前の筑後国御原郡を治めた役所の跡と考えられています。
役所の建物は何度か造り変えられたことがわかっています。
最初に建てられたのは、7世紀の後半で、それが建て替えられた第2期には、役所として本格的に機能します。
庁舎や倉庫・溝などの建物や施設が規則的に作られました。
その時期は7世紀末から8世紀初頭と考えられています。
第3期は、8世紀前半から中頃と考えられます。
北側に二重の溝とその間に築地塀で内部を囲った区画を持つことが特徴です。
近年、その規模があまりに大きいので、単なる郡衙ではなく、軍事施設等、別の役割を持った役所という説も出ています。
小郡市は重要な遺跡が沢山ありますが、そのなかでも主要な遺跡の一つです。
名前 |
小郡官衙遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0942-75-7555 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
コレと言って何も有りません。
トイレは有ります。
時々、年寄りがグランドゴルフをされています。